熱量を60秒に込める!ポカリスエットCM「でも君が見えた」篇。監督・柳沢翔、撮影監督・岡村良憲、美術・三ツ泉貴幸をインタビュー!
演出の狙いと映像的な表現が渾然一体となり、主演の中島セナが大切な友達のもとに駆けつける一瞬を切り取ったポカリスエット 2021年春CM「でも君が見えた」篇。制作陣にとっての大テーマは熱量を60秒に注ぎ込むこと。監督の柳沢翔、撮影を担当する岡村良憲、圧巻の美術セットを作り上げた三ツ泉貴幸のインタビュー。
柳沢監督に聞く物語の考え方:
広告と映画における「構成」の違い
──「でも君がみえた」、パワルフルなCMです。すでに多くの媒体で紹介されているので、今日は少し違ったアングルで舞台裏を聞いていければと思ってます。ということで最近面白かったものって何ですか?
それでいうと、歴史系ラジオ(COTEN RADIO)に凄いハマってまして…。もう夢中で聴いてます。フランス革命、ヒトラー、ガンディー、ヘレンケラー…。知識を得る喜びもありますが、それ以上にそれぞれの時代背景の中で「きっとこうだったのかな?」と自由に想像するのが楽しいんです。映画を観てる様な感覚に近いかも。
──印象的だったエピソードは?
仏教の回を聴いてた時に、「悟り」とはどういう状態かをロジカルに解説していて、非常に興味深かったです。
”悟る”とは「何にも囚われてない」状態
↓”囚われてない”とは、その因子である”執着がない”状態
↓”執着がない”とは、その因子である”持っている”という感覚がない状態。
↓
世界は常に流れていて、永遠に続くものなんて何もない。“所有している”という感覚は「自分は死なない」という思慮に立脚した考え。
と自分なりに解釈して聴いてました。何にも囚われていない状態の時は、自分の内側にすでにある”良きこと”を見つけやすい。一方で、何かに執着していると、その”結果”により強く執着して共同体感覚を持ちづらい。それは不安や恐れとなって、やがて「怒り」や「対立」として爆発する…。ここら辺はヒトラーの回で触れられていたような。話を聴いてる時は大巨篇の映画を観てるような感覚。全部つながってるんだ…歴史ラジオ面白いな〜。学生時代もっと勉強すればよかった…(泣)。(詳しく知りたい方はぜひポッドキャストをチェック!)
──監督業と歴史がリンクすることってありますか?
この”執着”から”悟り”の思考プロセスって、まさに企画書や物語の話法とリンクします。「トイ・ストーリー3」 の脚本家マイケル・アーントの言葉を借りると「太古から物語がなぜ存在するのかと言うと、”より善く生きる”方法を後世に伝えるため」であり、「伝えるために、物語には”主人公が双眼鏡をひっくり返すシーンが入っていないとダメだ」と言っています。今まで見ていた世界に疑問を持った主人公が、自分の持っている双眼鏡をよくよく見直し「あ!これ逆向きに使ってたじゃん!」と気づく。正しく双眼鏡の掛け直して世界を見るとビックリするぐらい視界が開ける。思考が転換しいろんな物事がバッと高解像度で見えはじめる。これって、まさに悟りのプロセスですよね。
──CMも同じ考え方で作られているのしょうか?
「より善く生きる」ために宗教があったり、物語があったり。商品もそうですよね。精神的な学びではなく、物質的な部分ですけど。今僕達が使っているモノは全て先人達の血と汗の結晶だと思います。それを宣伝する広告映像もたどっていくと「より善く生きる」ためのはずなんです。でもCMって時々「売ってやろう」が全面に出てしまうコトがありますよね。そういうのを見ると「まあ、CMだからね。商品売れないと困るし」と思う反面、なんか違和感、不信感を感じてしまう。ずっとその理由が分からなかったんです。作ってるのに…。
──答えは出たんですか?
広告映像って、さっきの物語の話法とは逆なんです。ニュートラルな「囚われてない状態」の人に欲望を抱かせて、それを叶える鍵として商品がある。構成が逆になるんです。でも、本当は鍵として商品があるだけで、ゴールは「善く生きること」なんですよね。ここが複雑にしてるんです。往々にしてゴールが「商品」になってしまう時がある。一見するとそれが正解に見えるんだけど、人間って面白いですよね、美しく飾り立てるほど、さりげなく見せるほど、ちゃんとうさん臭さも感じてしまう。「ホントに私達のこと考えてる?」って。それは本末転倒なんだなと最近気づきました。
コンテ描いてて時々遭遇するんです。めっちゃ生々しい資本主義的な欲望を描くことを発注されて、あれやこれや美しく見立てながら延々もがいていると、商品が生まれた本来の理由に直結する表現に唐突にたどり着くんです。その瞬間、うさん臭さとか嘘っぽさみたいな匂いがブワァっと無くなるんです。「ま、CMだからしょうがないよね」が吹っ飛ぶと言うか。
あの感覚は不思議ですね。我ながら凄いアンビバレンスな事をしてると思うんですよ。「善く生きる」ことを「執着」させながら伝えようとしてるんですから。でも針の穴を通すぐらいの確率で、ピタッとくる表現は確かにあるんですよね。それに辿り着いた時はすごく嬉しいです。家で小躍りしてます(笑)。
──それでいうとこの「でも君が見えた」篇はどうはまるのでしょう?
変に聞こえるかもですが、企画を頂いた時に、ゴール前にボールが置いてあって、あとは蹴るだけ…な感じを受けました。企画に書かれていた”アゲンスト”というテーマが、この時代を”どう善く生きるか”、徹底的に考え尽くされて出てきたものだったので。僕はクリエイティブチームから受け取ったテーマに沿って表現を探すだけでよかった。正直、楽しー!!って企画書をもらった日に小躍りしていました(笑)。
──CMだけど欲望のトリガーを描く必要がない?
”執着”の部分も自分の中では作っていますが、CMでは描いていません。物語の背景としてスタッフ、特に役者さんとのセッション用にまとめました。役者さんって演じる時に、欲や執着が無いと憑依し難い。だって欲がない人間って、もはや聖人君子ですから、実存感出しづらいですよね。
──長編物語のラストシーンにあたる部分を切り出して描いているということなんですね。
そうですね。スタッフとは全編を共有しているので、CMで描かれるシーンの意味を理解しています。それはすごく重要で、カメラワークにライティング、サブキャスト達の表情や配置にも影響してきます。前段としての物語があると、各部署がフィナーレに向かってアイデアをぶち込んでいける。現場で全スタッフがせーの!で振り切れるんです。でないとセットが壊れる限界まで風を吹かせたりしないです(笑)。
柳沢監督に聞く:映像表現のこだわり
視覚的にリッチで印象的に描くために
──そのクライマックスを如何に濃い視聴体験にするための”表現”のお話を伺いたいと思います。
視覚的なWOW!を意識して構成してます。
○廊下を歩いてるセナ(セットアップ:キャラクターや舞台設定など)
○逆走するセナ(WOW!)
○セナに逆風が吹く(WOW!の進化)
○風で廊下がうねる(”つながる/愛”を内在しないクライマックス)
○中庭にでる(新しい世界のWOW!)
○花吹雪が舞う藤棚を走り抜ける(世界の干渉のWOW!)
○講堂で親友と再会(”つながる/愛”を内在するクライマックス)
この図は”映像が展開していく快楽”だけにフォーカスした考え方のようなもので。ある種「興味のない映像」がどう発展していったら「興味を持たれるのか」に近い…?のかなー(笑)。ここら辺は感覚なので難しいですね。でもたとえるなら、魔法少女モノとかヒーローモノの変身シーンがたまたまテレビで流れていたら、どんな姿に変身するんだろうってちょっと思いません?そしてどんな必殺技で敵を倒すのかな…とか。その倒される敵と自分の悩みがちょっとでもリンクしてたら、変身シーンから観始めたとしても、観てよかった〜って思えるかもですよね。その感覚に近いです。
──ラストシーンだけを60秒で描いても感動できる理由ですね。
だからって「変身〜!!」って叫んで光の中から、売りつける事しか考えてないようなヒーローが現れたら、やっぱ…イヤですよね。そこを気にしながらいつも描いてます。