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橋本麦さん「表現って出つくした」って思いますか?
映像制作からR&Dへ

kana Feb 21 2019
photo by Jo Motoyo

映像作家として、またはプログラムも取り入れた映像制作をするコンピューテショナルアーティストとして活躍する橋本麦。昨年はお餅を祖父母の自宅でトランスフォームさせまくったストップモーション・アニメーションMV「Fly」が話題となった。最近は北海道に拠点を移し、新しい取り組みをしているという。

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そういう体質と言うしかない

group_inou – EYE dir: Baku Hashimoto / Katsuki Nogami
Google Mapsを従来とは違う使い方をしてMVを制作。

──映像制作のたびに何かしらの新しいテクノロジーやワークフローの改善を取りいれる姿勢は、図らずともリバーマンさんと同じような道をたどっていますよね。

というか、元々そういう方向にいきたかったんです。それ以外に考えられなかったんです。コンピューテショナルアーティストには、そういう考え方の人が多いと思いますよ。

──表現のためにツールから開発するという話は、「タイタニック」や「AVATAR」を作りたいがためにデジタル・ドメインを立ち上げ技術開発をした(そこから誕生したソフトにNUKEがある)や、「ロード・オブ・ザ・リング」のWETA Digitalなどを彷彿とさせます。

そんな大それたものではないですが、思考としては近いと思います。もっと学生っぽいというか、どちらかというとトニー・ヒル(46年生まれ。英・ヨーロッパを代表する映像作家。実験映像で有名)みたいなノリ。「CGのレンダリング手法」といった基礎研究までいかなくても、カメラのリグを作るくらいの抽象度でつくっていければなっていうのは自然とありました。

──毎プロジェクト、意識的に発明要素を盛り込むようにしているのですか?

そうですね。映像を作ることが楽しいと思っていたのですが、実は最近になって、映像制作の過程で出てくる発明要素のほうを楽しんでいるんだって、ようやく気がついたんです。そうなると、普通に映像を作るのが本当に苦痛でしかたなくなってしまいました。とは言え、「作り方を作る」というような大それた制作哲学に基づいているわけではなく、もう、そういう体質というか。ある作法の中で精度の高いものを作る職人気質な人もいれば、精度よりも作法自体をこねくり回して新しい結果が出ればいいっていうタイプがあるとしたら、自分は完全に後者に振り切れているんです。

結果よりも過程

──発明に喜びを見出す体質だということに気がついてしまった、今のお気持ちは?

R&Dで出来るだけ生きていけるといいなって考えています。

──開発した技術で自分の表現をしたいとは思わない?

自分で作りたいんですが……手法やエンジニアリングに関してはその過程そのもので楽しめちゃうので、出来上がりがダサいクリスマスイルミネーションみたいなものになろうと気にならないんですね。美味しい部分はそこじゃないから。そこで、その手法を使って映像作品としてのトーンまで任されちゃうと、自分の変な好みが入りすぎちゃって世の中の需要とかち合わないものになってしまう。手法を思いついたからには、当然それを使って作る完成物のイメージも切り離せないものとして浮かんでいるのです。

例えば、「Fly」だと、ストップモーションでのカメラを滑らかに動かす手法と、お餅というのは、ほぼ同時に切っても切り離せないものとして浮かんできている。すこ〜しだけ技術が先攻しているけれど。そのテクニックで、最初に作る、頭の中に浮かんだトーンに関しては、誰にも口を挟んでほしくないってところがあって。いかんせん、そういうところは頑固なので。

──では、その新技術で映像を発表後、同じ技術を使って仕事を依頼されるのはどうですか?一度やったことに興味はない?

仕事だと良いかなって思います。これまでは、一度やったことは誰でもパクれる状態にして、「ソースコードも作り方も丁寧に説明したものをアップしておくから、同じ山は登らせないでくれ」って態度だったんですけど、じゃあ、仕事の度に企画にあった手法を思いつけるのかっていうと、そこまで体力も無いですし、やることに意味も無いなぁと考えを改めました。同じ山を登れる楽さもあるし、先方も目指す場所が見えているわけですし、ヘルシーかなって思えるようになりました。

つまり、最適化の問題

──「表現は出つくしたし」という声をよく聞きますが、それについてはどう思いますか?

うーーん、まだまだあると思うんですけどね。具体的に言うと、「スリットスキャン」という手法なんかは、まだ全然出てないんですよ。画をスリット状に切って、それぞれのスリットの時間を前後させていく技術において、スリットじゃなくてピクセルにしたらどうか? もしくは同心円状にしたらどうか? いくらでもやりようはある。

出つくしたって、実際にどういう感じでいっているのかよくわからないというか。新しものを作るために、新しいものを思いつくっていう行為そのものを、果たして抽象化して捉えているのか……あんまり伝わってこないんですよね。

──視点の転換、発想力をどう鍛えているんですか?

自分の役に立っているのって、やっぱりプログラミングなんです。いろんなものが最適化問題なんですよ。って言うとややこしいですよね。

ものすごく視覚的に例えてみましょう。さっきも言った「山登り」なんですよ。山地の形状はわからない状態として、霧のために視程(してい)もゼロメートルとしましょう。風景として山全体を見渡せない状態ですね。標高計はなんとなく機能しています。この状況の中でどういうふうにテクテクと歩みを進めれば、できるだけ高い山にたどり着けるのか?

いくつか戦略があると思います。

まず、先人が踏破した山をできるだけ細かく地図に書き入れて、そのサンプルから山のかたちを推測する方法があります。ただ、この場合はすでに登られた山にしか登れない。どうにかしてそこから未開拓ゾーンに踏み出して、未踏の山を見つけ出さなくちゃいけないのだけど、そこで頼りになるのは足元の勾配です。てんとう虫のように勾配の上へ上へと昇っていくと、いつかは山頂に辿り着く。だけどこの戦略にも欠点があって、その山が小さい山だったとしたら尾根を伝って一度標高を下げないかぎり、より高い山には行けないですね。局所化に陥っている状態です。幸運にも、それが富士山のような独立峰であればなんとなく坂を登っていけばいつかは最高地点にたどり着きます。だけど、ものづくりの山地は残念ながらそんな単純な形にはなっていない。山がいくつあるのか、尾根がどう広がっているのかも分からない。なんなら地殻変動さえ起こる。そんな時状況を打破するのは、乱択性、つまり気まぐれです。勇気を出して一旦尾根を降りて、思うままにほっつき歩いてみる。上手く行けば、もうちょっと高い山に偶然辿り着くかもしれません。

如何にテクい登山が出来るか

「新しい表現は出尽くした」って言ってる人たちがやりがちな戦略は、ほぼほぼが「細かくサンプル」法と「てんとう虫」法、あとほんの少しの「気まぐれ」法です。

だけどそもそもの話、本当に自由気ままにその山地を歩き回れているのか? と思っています。今の Adobe 製品を使ってやる山登りは、網の目のように整備された登山道を行ったり来たりさせられているようなものだと僕は思っています。アイゼンも持ってないし、ピッケルも持っていないから、登山道から逸れることが出来ないんですよ。Adobe の方向性は、オフロードとか雪山を攻められるプロ向けの装備を作るのではなく、ハイキングのような軽装備で色んな所にいけちゃいますよっていうこと。いかに需要のある場所に登山道を伸ばして、網の目の密度を濃くするか。YouTuber とかインスタグラマー位ならそれで十分ですよね。

でも、自分が一番気持ちいいのは、如何にテクい登山が出来るか。道から外れて山に登れるかみたいなところでして。山ごとに地表の柔らかさは違っていて、登りづらい場所があって、それに合わせたオフロード車を設計したり、ピッケルを作ったり……それが気持ちいい。言ってしまうと、そのテクさがあればアウトプットは映像じゃなくてもいいんです。日曜大工でも。楽しく最適化問題をテクく解ければいい、それだけなんです。

Excelとソロバンくらい違う

──ということで、今、映像制作のツールを作ろうとしているんですよね。

作るしかないんです。出来るだけ R&D だけで食べていきたいと思っているので。このツールの需要がどれだけあるかというとそれは僕にもわかりません。というのも、表計算ソフトという概念がなかった時代に、経理の人に Excel の便利を説くようなものだと思っているからです。

──概念自体新しいということですか?

プログラミング言語だとありふれたことなので、概念としては新しくないです。Excel を使うときに意識するのは、個々の数字じゃなくて関数ですよね。だけど、現状のデザインツールの多くは、数字一つひとつをそろばんで弾くことに一番時間をかけているようなもの。だから、プログラミングと同じくらいの抽象性と自由度がデザインにあればなと思うんです。

今って、ジェネレ―ティブ性に特化したツールと、ちまちまと点描していたアナログ時代の延長線としての直感的なツールとで別れていて、その中間にいい具合がありません。コードを書くのは、ただ単に省力化のためではない。「いい感じ」「あじ」みたいなものはパラメトリックに記述するには面倒すぎて、プログラムで全部済ませるよりもちまちま手で調整する方が結局効率がいいんです。だけど、その「ちまちま」自体の抽象度を高め、より心地のいい単純作業のために、コードを書いている感覚があります。自分は、3000回文字を動かし続けるっていう脳筋的作業は大好きですが、その地道な単純作業の中にジェネレ―ティブな要素が地続きに入っていく感じが目指すところです。

──つまり「Fly」で実行したようなことですか? 三脚は自分で一コマづつ動かしていくけれど、そのワークフローの中にはコードによる自動化が組み込まれている。

はい、実際に使う人全員がプログラミングをするかは置いといて、描くっていう行為の抽象度をソフトの中で高めていける、そういうものを作ろうとしています。

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