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いまの自分に疲れている人のための あおぞら技術用語
「キープアライブの巻」

清水幹太 清水幹太 Feb 15 2019

清水幹太さんのあおぞら技術用語連載、第9回は「キープアライブ」について。幹太さんが眠気対策として大声で発する「○〜○○、○○○、○〜○○」ってナニ? いったいどんな言葉が当てはまるのか興味津々です。

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「○〜○○、○○○、○〜○○」

筆者はニューヨークに住んでいる。最近は、東京で新しい会社も始めたので、東京とニューヨークをわりと行ったり来たりしている。中国の仕事なんかもやっているし、アメリカの西海岸に行くこともちょこちょこある。なんていうと、なんかイメージ的には「世界を飛び回るデジタル・クリエイター」っぽい、優雅で素敵な生活に見えてしまうかもしれないが、ことはそんなにシンプルではない。

眠い。とにかく眠い。時差ボケが治るか治らないかのタイミングで地球の裏側に行かなくてはいけないことがちょこちょこあるので、常に時差ボケが治ってるんだか治ってないんだかよくわからない状況での生活を強いられる。つまり、なんか知らないけど常に眠い。眠いからといって、寝てもまだ眠いし、常にいろんなタイムゾーンから仕事の連絡が来るので、まあそんなに寝れない。

寝てはいけないし、自分としても眠いが寝たいわけではないので、起きなくてはいけない。

そんなときに、確実に脳を覚醒させることができる方法がある。これはかなり使える方法だが、それなりに禁断の方法でもあるので、ここに書いてよいのか逡巡してしまう部分もある。そもそも公序良俗に反しているかいないかというと、反している。しかし、かなりの精度で脳を覚醒させることができる。この方法は、東京にいるときは使えない。ニューヨークにいるときは結構使える。

で、それがどんな方法かというと、街に出て、日本語の放送禁止用語とか、下品な言葉をちょっと大きめの声で言ってみたり、歌ってみたりするのだ。ニューヨークの街中、人通りがそこそこある場所で、「○〜○○、○○○、○〜○○」みたいなすごい下品なフレーズを、徹子の部屋のメロディーなんかに乗せて歌ってみる。これが結構効くのだ。もちろん、日本の街中で、日本人が周りにいるときに徹子の部屋のメロディーに乗せて「○〜○○、○○○、○〜○○」とか歌っている人がいたら、ヘタしたら逮捕されるだろう。逮捕されなくても神経も人格も何もかも疑われる。

そういうレベルの言葉だから、声に出してみることにかなりの緊張感をともなう。人前で言っちゃいけない言葉を人前で言うのだ。絶対やってはいけないことを敢えてやる。その壁を超える緊張感で、眠みがパッとなくなるのだ。眠眠打破、とはこのことだったのか、と思う。

もちろん、周りに日本の方というか、日本語を理解してしまうかもしれない東洋人っぽい方がいないかどうかはチェックする。それはそうだ。数十年憧れたニューヨークに観光で来られている方もいるだろう。自由の女神だ。エンパイア・ステートだ。タイムズ・スクエアだ。これが初めての海外旅行だっていう可能性もある。そんな人の前に、突然私みたいなひげもじゃのダサい日本人が出現して「○〜○○、○○○、○〜○○」とか歌いだしたら、せっかくのニューヨークが台無しどころの話ではない。トラウマになってもおかしくない。

この方法は、他の場面でも有効だ。たとえば、車の運転をしているようなときだ。特にアメリカの高速道路なんかは概してまっすぐであることが多く、いつまで経っても全然景色が変わらなかったりして、かなり眠くなる。眠いのだが、100kmとか出ているわけで、とても危ない。そんなとき、運転中に「○〜○○、○○○、○〜○○」と叫びながら歌うことで、脳にいろんな刺激が加わる。もちろん、家族を乗せたりしている際には絶対にできないが、筆者が一人で眠気と戦いながら車内で下品な言葉で歌っている際の痴態たるや、筆舌につくしがたいものがある。しかし仕方がない。眠気を打破しないと危ないシチュエーションだ。そんなとき、筆者は必死に車内で放送禁止用語を叫び続ける。さながら、自分の脳に「起動しろ! 活動しろ!」と促すかのように、叫び、歌うのだ。

死なないシステムはない

脳というのは不思議なもので、なにがしかの刺激を与え続けないと、さぼったり眠ったりしてしまうものだ。上記のような眠い場合だけではない。仕事なんかだってそうだ。いつも同じような仕事ばっかりしていると慣れて飽きてしまったりするから、人は違った仕事をしたくなったりする。人がたまに旅に出るのだってそうだろう。日常生活に違う刺激を与えるために、旅に出て、新しい体験をして、脳を再活性するのだ。

食べ物だって、ファッションだって、音楽だって、世の中の様々なものが、脳をいかに刺激するかという工夫とともに創り出されている。行ったことがない場所に行く、着たことがない服を着る、そういった行動は、ある意味、自分の脳というオペレーションシステムに対して「自分は生きてるよ! 活動してるよ!」ということを伝えて確認させるようなところがあるのかもしれない。自分の脳に、自分の存在と行動をアピールすることで、自分自身が活性化する。だから人は、自分の存在のために、新しい刺激に触れようとするのかも知れない。

自分自身の存在、とかスピリチュアルな話になってくるとこういうことになっていくが、お医者さんなどはもっとフィジカルに人の生存状態を判断する。お医者さんが人が生きているかどうかを確認する場合、まず脈をとる。心臓が動いていて、脈拍があるかどうかが、人の生死を判断する最初のポイントだ。これは敢えてまどろっこしい言い方をすると、お医者さんが、「相手が生きている証拠としての脈動を確認する」という行為だ。

システムやソフトウェアの世界には、「死活監視」という言葉がある。死だなんて、穏やかではないではないが、システムやプログラムというのは、死んでしまうことがある。

簡単な話、普段パソコンで何かしているときに、突然処理が止まって画面が凍ってしまったり、最悪の最悪のケース、青い初期画面みたいなものが出てしまったりすることがある。これは、パソコン上のシステムが「死んだ」ということだ。

システムが死んでしまうのにはいろいろな理由がある。つまり、いろんな「死因」がある。

たとえば、以前のこの連載でも触れたことがあるが、1つのサーバにアクセスが集中してしまったときだ。サーバというのは、アクセスしてきた人に何がしかの情報を渡す仕組みなので、あまりに多くの人がやってくると、さばききれなくなってしまうことがある。

人気のラーメン屋に人が殺到しているんだけど、人々が行列をつくらずに一斉に入り口に入ろうとするから結果として誰も入れなくなっているような状況では、ラーメンを出すことすらできなくなってしまって、ラーメン屋がラーメン屋としての機能を停止してしまう。つまり、死んでしまう。

他の死因もある。単純に、システム上で動いているプログラムにバグがあった場合などだ。たとえば、「画像の中に黒いピクセルがあったら片っ端から白にする」というプログラムがあるとする。

「画像の中に黒いピクセルがあったら片っ端から白にする」だったら、そのうち黒いピクセルは全部白くなるので、プログラムはいつか仕事を終えることができる。

ところが、このプログラムの「片っ端から白にする」の部分をプログラマーが間違えて「片っ端から黒にする」にしてしまった場合どうなるか。

「画像の中に黒いピクセルがあったら片っ端から黒にする」という状態になる。黒いピクセルはいつまでたってもなくならないから、このプログラムは、永久に終わらないことになる。

こういう状態を「無限ループ」という。こうなると、コンピュータは答えの出ない問題について考え続けることになってしまう。人間でもそんなことがよくあるが、考えすぎてしまって、それ以上考えることができない状態になる。

こうなった場合に、プログラムは「死ぬ」のだ。

システムが動いているコンピュータが水没して壊れました、みたいな物理的で単純な死因もあるし、Twitterと連動しているシステムが、Twitterのシステムが落ちたから自分も落ちてしまった、みたいなもらい事故みたいな死因もある。

システムやプログラムは、いろんな理由で「死ぬ」のである。

システムの「死活監視」をする仕事

世の中にはシステム管理者という職業の人がいる。この職業は、とても重要な職業だ。上記のように、システムやプログラムというものはいろんな理由で「死ぬ」ことがある。これは、いかなるシステムにでもプログラムにでも起こりうることだ。絶対はない世界だ。

しかし、システムが死ぬと、ときとして、とんでもない損害になることがある。たとえば、今年の7月に、アメリカのアマゾンが「プライムデー」という特売を行った際、障害が発生してシステムが死んでしまい、数十分の間アクセス不能になってしまったことがある。アマゾンは、1秒間に日本円で20万円程度の売上を上げていると言われている。それが数十分止まるということはどういうことか想像に難くない。大損害だ。人の会社のことは知らないが、原因をつくった人の首の1つや2つ飛んでいてもおかしくない。

こんなふうに、世の中には、その生死が人の人生や生活を左右するようなシステムやプログラムがたくさんあるから、それを監視して、何かあったらすぐに対応しなくてはいけないケースが多々ある。それをやっているのがシステム管理者だ。そしてこの管理者が常日頃から仕事としてやっているのが、システムの「死活監視」だ。

たまに、このへんの仕組みをよくわかっていないお客さんが、サービスやウェブサイトを一度公開した後に、システム管理費のようなものが月額でかかってくることに文句を言ってきたりする。「一回動いているんだから大丈夫じゃん」、そして「何もしないで見ているだけの人にお金を払うのは嫌」という趣旨だ。しかし、上記のようにシステムやプログラムというのはいろいろな理由で「死ぬ」ことがあるので、それを監視して何かあったら対処する人は必ず必要になるのだ。システムは、つくったらおしまいではないのだ。

というわけで、システム管理者というのはハードな職業だ。契約内容なりによっては、夜中でも休日でも叩き起こされて対応を求められる。早期の対応のために、システムが死んだ場合、すぐに知ることができるように、「死活監視」プログラムを常に走らせておく。対象となるシステムが健康に動いているかどうかを常に確認して、問題があったら管理者にメールが来る、みたいなものもあるし、アラームを発しながら光るシステム用のパトランプみたいな商品もある。

この死活監視の方法にもいろいろある。その中の1つの方法が、今回のテーマである「キープアライブ」だ。監視の対象になるシステムやマシンが、定期的に「ハートビート(=脈拍)」と呼ばれる何らかの信号を、送信し続ける。何にも必要が無くても、ただただ「おれ生きてるよ!」ということを主張するために何か送り続ける。監視する側は、この信号を受信している限りはそのシステムが生きているとみなす。この信号が途切れたら、「あ、死んだ」ということになって、自動的に別のシステムに切り替えたり、最悪寝ているシステム管理者が叩き起こされたりする。このやり取りを、接続している複数のシステム間で相互に行うこともある。

こんなふうに、「おれ生きてるよ!」という証拠に必要のない信号を送りつけて自分の生存確認をしてもらって、相手との接続を維持する仕組みを「キープアライブ(=生き続ける)」と呼ぶ。

「生きてるよ。おれたち生きてるんだよ」。世の中のシステムは、お互いに連動しながら、常に自分の生存を主張して、各々の生を確認しあっている。

キープアライブのために送る信号は別に何でも構わない。何か送信されてきていれば、つまり、監視している側に何らかの刺激が来ていれば、「あ、こいつ生きてる」ということになるからだ。そう、それは別に「○〜○○、○○○、○〜○○」でも構わない。上品でもいい。下品でも構わない。

「生きてるんだ。おれは生きてるんだ!」。もし読者がニューヨークに行って、万が一下品な歌を歌っているひげもじゃの日本人男性を見かけたら、彼の歌を彼の生存証明だと思って欲しい。彼だって必死に生きているのだ。キープアライブしているのだ。必死さを評価してほしい。

(マンガイラスト・ロビン西 )

清水幹太

バーテンやトロンボーン吹き、デザイナーを経て、ニューヨークをベースにテクニカルディレクターをやっている。

BASSDRUM( http://bassdrum.org