ロイル・カーナーが10月11日にリリースした「Ottolenghi」のMVは、静かなラップと、ほのぼのとした電車の中の映像に癒やされる。どんどんと繰り出される手品のような視覚効果が、また楽しい。こんな映像が作られる元になった歌の内容はどんなんだろうと気になる。
ジョーダン・ラカイとの共作によるこの歌は、カーナーが雨の中を走る電車に乗っていたときに体験した2つのエピソードが中心に語られている。ひとつは、カーナー自身の家族の会話だ。幼い娘が、もう太陽は照らないのかと母親に聞いた。しかし母は、雨が降らなけれが何も育たないのよと笑い飛ばした。自分も娘と同じ気分だったから、ちょっと恥ずかしかった、という話。もうひとつは、本を呼んでいたら、聖書かと聞かれたときの話。「エルサレム」というタイトルだったのでそう思ったのだろうが、それは中東の料理本だった。
それに絡めて、人の気持ちは天気のようにわけもなく変わること、いいときもあれば悪いときもあることを説いている。娘と息子は、強くなるな、走るなと言ってくれる立派な大人になるだろうか。母親のように賢い人になるだろうか。人を見下すことなく、愛し合うことだ。ボクは自分の時間の自分の人生を探す。と、静かな愛に溢れた温かい歌だ。
監督はオスカー・ハドソン。5月に同監督のイケアのCMをNEWREELでも紹介している。コンピューターで画像をいじるというよりも、実写と人力で不思議な世界を作るのが得意な監督だ。2017年に公開されたBonoboの「No Reason」の MVでも、だんだん小さくなるミニチュアの部屋を並べて、特殊なロボットカメラを使い、日本の引きこもり青年の生活を描いていた。メイキングを見ると、その仕組がよくわかる。
オスカー・ハドソン監督によるBonoboの「No Reason」
「No Reason」のメイキング
おそらくOttolenghiでも、こうしたカメラの前でのアナログな技法が駆使されているんだろう。
ところで、タイトルになっているOttolenghiとは、ロイル・カーナーが敬愛するイスラエルの料理人ヨタム・オットレンギ氏のこと。電車の中で読んでいた「エルサレム」という本は、オットレンギ氏の著書だ。
料理好きのロイル・カーナーは、しばらく音楽活動を休止して、ADHDを抱える若者たちのための料理教室をロンドンで開いていた。自分自身もADHDだというカーナーは、ADHDの若者たちの可能性を十分に理解している。「どうやって壁を登るかを見て魚を判断してはいけない」と彼は言っている。そんな彼だから、人にはそれぞれの人生があり、互いに尊重しなければいけないと訴えるこの歌が、心に響くのだと思う。
車内にはカーナーの実際の家族も乗っている。また、オットレンギもちょい役で顔を出している。車掌に大きな切符を見せたときに通路を挟んだシートに座っている革ジャンの男性だ(よーく見ると、この切符には イースト・クロイドンからロンドンブリッジまで120ポンドと書かれている。20分ほどの距離なんだけど、日本円で約1万8000円と馬鹿みたいに高い。ロンドンの電車賃の高さを皮肉った、ささやかなジョークだ)。
メローな曲調に、人間味溢れる歌詞、そしてハドソン監督の「トリック」を駆使したユーモラスで暖かい映像がなんとも言えない。
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