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Feature

サウンドアーティストevalaによる”耳で視る映画”
「Sea, See, She – まだ見ぬ君へ」凱旋公演記念対談。
evala x 映像作家・関根光才が語る

kana Aug 18 2021

暗闇の中で”耳で視る映画”「Sea, See, She - まだ見ぬ君へ」は、来場者それぞれの物語を語る。2020年1月に東京・表参道のスパイラルホールで初演を迎えた本作は、文化庁メディア芸術祭での優秀賞を祝し、8月28~31日にて再び同じ場所で凱旋公演を開催する。サウンドアーティストevalaが、本作のコラボレーターである映像作家の関根光才を迎えて「Sea, See, She - まだ見ぬ君へ」について会話をする。

created by
evala
visual direction
Kosai Sekine
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物語と超現実
人間の想像力を取り戻す

”これは目には映らない、耳で視る映画。
ことばを持つ前の人類は、どんな物語を共有していたのだろう。
古来、人々は音楽を奏で、踊ることで、物語を紡いでいたのではないだろうか?
人間が本来持つ知覚を呼び起こし、音から物語を描く「映画」”

インビジブル・シネマ「Sea, See, She – まだ見ぬ君へ」作品概要より一部抜粋


──芭蕉は「古池や蛙飛び込む水の音」を詠んだ時、実際に飛び込むカエルをみたわけでなく、その音を聞いて「古池」という言葉を用いて、もう一つの現実をつくったわけですが、日本にはそういった聴覚から立ち上がる”超現実”を愛でる文化が根付いてたんじゃないかと思うんです。その立ち上がってくる景色をevalaさんは「それぞれの物語」とおっしゃっていますね。

evala:視覚的な情報は脳にインプットされると、言語的だったり記号的に変換される側面があると思うんですが、聴覚で立ち上がる景色は内側から沸き起こると思うんです。僕はそういうクリエイションに惹かれているんですね。本作で一番面白いと思うのは、人それぞれ感想が違うところ。人の想像力の多様さに惹かれます。

普段から世界中のあらゆる音をフィールドレコーディングで録りためているんですけど、時間も場所も異なる膨大な音たちを混ぜ合わせたり、引き伸ばしたり縮めたりしながら、現実にはありえなかった世界を創造しています。水面に小石を落とすと波紋が広がって、もう一つ小石を落とすともう一つの波紋ができてその二つが共鳴しあって、第三の波が立ち現れるじゃないですか。そういう感覚で、音の波と波の戯れを遊んでいるうちに物語のようなものが生まれてくることがあるんです。その波の戯れが、立体音響システムの中で、多次元的に絡み合っていくと物語が勝手に生まれ、パラレルワールドができあがるんじゃないかという仮説を持つようになりました。時間軸に沿って起承転結をなぞっていく類の物語ではなく、観た人それぞれのパラレルワールドが生み出す物語。現実と区別がつかないような生々しい空間性を持った音の波が、観客の記憶の片隅ある音と共鳴しあって生まれる、空間的な物語と言ってもいいかもしれません。

関根:ということは、evalaさんは音で遊びながら、共鳴して生まれた第三の波のパーツを数珠のようにつないで70分の構成ができていった?

evala:そうですね。これとこれって全くつながらないよなって思っていたのが、フッとつながって新しい世界を見せてくれるような瞬間は、「こんな世界があったの!?」ってやっていて飽きない。時間軸をなぞる作り方だとたどり着けなかった場所なんだろうなって思うんです。作曲のロジカルなクリエーションから解放された感もあるというか。

関根:僕は映画をやるようになってストーリーテリング、物語をすごく意識するようになったんですが、今回はその中でも極端な形でした。なぜなら「物語」がすでに(鑑賞者それぞれの中に)あると解釈をしていたから。たまに脈絡なくある記憶をふと思い出したりすることってありますよね。そのような、僕らの細胞や記憶の中に植えられているそれらを意図的に励起させられるかというアプローチで取り組みました。そういう意味では、映像における物語性もevalaさんに近いアプローチだったんだと思います。映像を見せずに、映像的な読後感をどうつくるのかという問いは、映像をやってきた自分にとっては、矛盾しているんですけどね(笑)。そしてなにより、evalaさんがこの作品を「映画」と定義することが面白い。インナーセルフに委ねるっていうところがこの作品の一番おもしろいところだと思うんです。個人の感受性のみを頼りに、それをもって「映画」と言い切るっていうところだと思うので、トンチのような思考プロセスでした。

テクノロジーをプリミティブに扱うこと

──コンセプトを高いレベルで表現へと落とし込むためのテクノロジーや技術面での試みを教えて下さい。evalaさんは立体音響をどう捉えているのでしょう?

evala氏が立体音響を制作するスタジオの様子


evala:
僕は音楽家として「空間的な作曲」という概念とともに、立体音響テクノロジーを「楽器」のように使ってプログラミングしています。空間の左右や天地を逆転させたり、拡大したり縮小したりと、時間軸の作曲だけではない空間自体のコンポジションです。例えば記憶の片隅に聞いたことのある音があるとしましょう。波が「じゃば~ん」っていう音だとして、それが自分の右側の空間で鳴っていて、左側の空間では風が「ひゅ~」と吹いている。それが完全にセパレートされている。そうすると奇妙なファンタジーが立ち上がるんですけど、そういった現実には実在しない音の場を作るプロセスにおいて最新鋭の立体音響が必要でした。インビジブルシネマの音源は自然や都市空間のあらゆるところでマイクロフォンで採集した音で構成されています。人々がどこか聞いたことのある音をそのままに、空間反射を人工操作をすることで、現実には存在しない、もう一つの現実を立ち上がらせる。その絵筆や楽器として立体音響というテクノロジーの叡智を注いでいるという感覚です。昔の技術ではできなくて現代だからできる音響の創作ではありますが、やっていることはすごくプリミティブです。

関根:”プリミティブ”はこの作品のキーワードの一つで、映像制作におけるテクノロジーでも通貫しています。映像制作でもいろんなテクノロジーの再利用をしました。本作の映像制作はほとんど光の演出だと思っています。あれだけ真っ暗な中にいると光に敏感になっているので、ほんのちょっとした刺激で爆発的な反応を引き起こす可能性もあるので気をつけなければいけないですし。僅かなコントラストで3D映像に感じる人もいるんじゃないかな。それで人間が感知できるギリギリの光量を自分たちで研究したのですが、やればやるほどシンプルなことに回帰していくというか。例えば撮影で日常的に使っている減光フィルターをレンズに何枚も重ねる。偏光フィルター、これもプロの撮影の現場では一般的なものですが、それらを組み合わせて、カメラマンの上野千蔵さんに協力いただきながら、人間の眼が認識できるギリギリの光のレベルを作っていくというプロセスを経ました。

プリミティブに研究をして、制作プロセスを踏んで、映像がものすごく抽象的にブレイクダウンされた時に、人は何をそこから読み取ろうとするのか?映像からは明確な情報は得られないんですよ。かわりに耳から遥かに多くの情報は得られている。日常世界での情報摂取の仕方とは、聴覚と視覚の関係が反転しちゃっているんです。しかもevalaさんがいじわるだから(笑)、天地が反転するような空間音響で、脳の認知をバグらせる。そんな空間において、「映像」であるかどうかはどうでもよくて、「映像的な体験」ができるかどうかが重要だと考えながら向き合ってきました。

After/Wtihコロナの今、鑑賞する
「Sea, See, She – まだ見ぬ君へ」

──アフターコロナ/Withコロナの今、一度体験した人もこの作品の感じ方が変わりそうですね。

関根:緊急事態宣言中は、自分たちが存在している意味や在り方を考えながら絵本を創っていました。そこで強く感じたのは、謙虚にならないといけないということ。高層ビル群や目に見えるモノが、人類が残してきた足跡や価値だって何百年もかけて誤認するようになってしまったと感じていて。まさにevalaさんがおっしゃっている、「目に視えないもの」を信頼することを忘れ去ってしまった気がするんです。お金や目に見えるものと、精神的なものや目に視えないものへの価値付けの順番が、逆になってしまったと感じています。

evala:作って壊してまた作る、の繰り返しはもういらないと思うんです。そこにあるものと共存しながら、テクノロジーを「意識や価値の転換」に使うべき時代なんじゃないかと感じています。インビジブルシネマにもつながるのですが、同じ空間で、同じ方向を向いて、同じスクリーンを観ながら隣の人と観ているものが全く異なる体験をすることで、世界の風通しがよくなるんじゃないかって。そういうものが今必要なんじゃないでしょうか。

関根:この先にいろんなことが起きて、仮に人間が何かにトランスフォームせざるを得なった時、「心」や「精神性」がしっかりしていれば、身体的な変化があってもおそらく人間は生物として持ちこたえられる。しかしその逆は無理だと思うんです。なんていうかヒューマニティの最後の砦じゃないですけど、それに気づくための「コロナウイルス」という最後の布石が打たれたという感覚さえありました。

evala:今「波」に立ち返って、耳を澄ますことってすごく大事なことだって思います。コロナが全世界同時に起こって、世界の経済や景色が一変し、これまでの消費文化や20世紀型の視覚的でオブジェクティブな思考の積み上げ方も通用しなくなってきている気がしています。ダイナミックに価値の転換が起きてもおかしくない。

──お二人でコラボレーションをしてみて、お互いをどう思われましたか。また凱旋公演に向けても一言お願いします。

evala:真っ暗な闇の中、音だけの世界に、幻覚のようにたちあがる光才さんの微細な光の映像によって知覚が変わるんですね。すごく繊細かつ大胆に神経を使う工程だったんじゃないかと想像します。そうした特殊な演出がはいることによって、この作品が、未分化の新たな体験から鑑賞者に到達した感があって僕は感銘しました。

関根:あくまでevalaさんのアイデアに対してどこまでアプローチできるかなっていう思いで挑んだ作品です。自分のいる世界と、もう一つの世界の境界がグレーに曖昧になるっていう体験は個人としても面白いものでした。

evala:8月28日からの再演では、2020年1月のときとは違った物語が立ち現れるんじゃないだろうかと想像しています。繰り返すけど、これまでの災害やテロと違って、世界で同時に起こったこのコロナはやはり大きいですね。今一度「音」という世界の源に立ち返りながら、現代のテクノロジーで創作された波に浸ることで、見えてくる人それぞれの景色。ぜひ暗闇の中で耳を澄ましてみてください。

第24回文化庁メディア芸術祭 受賞作品展 
インビジブル・シネマ「Sea, See, She – まだ見ぬ君へ」公演情報

日程: 2021年8月28日 (土) – 8月31日 (火)

上映時間: 約70分

会場: スパイラルホール (東京都港区南青山5-6-23 スパイラル3F)

チケット: 無料(予約申込はこちらから

予約リンク:

主催: 第24回文化庁メディア芸術祭実行委員会

「Sea, See, She – まだ見ぬ君へ」スタッフクレジット

音楽・音響・監督|evala
演出|関根光才 (NION)
音響|久保二朗 (See by Your Ears)
照明|2bit
プロジェクション|岸本智也
映像|上野千蔵 (NION), 木村仁 (CONNECTION), 宮里浩平 (NION)
ハードウェア|浅井裕太 (Rhizomatiks), 毛利恭平 (Rhizomatiks)
舞台監督|浦弘毅 (ステージワークURAK)
宣伝美術|田中良治 (Semitransparent Design)
サイアノタイププリント|外山亮介
制作/広報|長村圭乃 (See by Your Ears)
プロデューサー|高橋聡 (NION)
主催|第24回文化庁メディア芸術祭実行委員会
協力|NION、ACOUSTIC FIELD、Meyer Sound、Semitransparent Design、Abstract Engine、石井通人プログラム事務所
会場協力|株式会社ワコールアートセンター
製作|See by Your Ears

bykana

NEWREELの編集者。コツコツと原稿を書く。

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