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オープニングで考えるアニメーション
「新世紀エヴァンゲリオン」の巻(3)

細馬宏通 Sep 25 2020

細馬宏通さんによる連載「オープニングで考えるアニメーション」。「新世紀エヴァンゲリオン」のOPについての考察 第3回目。いよいよサビ部分の分析に入ります。

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ゲンドウ、ミサト、リツコ、レイ。ゲンドウ、ミサト、リツコ、レイ。「新世紀エヴァンゲリオン」のOPのどこがいちばんぐっとくるかと問われたら、わたしなら、中盤に現れるこの四人の静止画の連続を挙げます。「その背中には」ということばのあとに来る、この曲で唯一のVm7/Iのコード。その特別なコードに乗せ、規則正しく奏でられるレ・ミ・ファ・ソ、4つのシンセ音に合わせるように、ゲンドウ、ミサト、リツコ、レイの姿が、灯をともすように現れてはフェイド・アウトしていく。このOPが歌詞だけでなく、音楽の構造に寄り添おうとしていることが、はっきり伝わってくる。

すでに第一回で述べたように、「エヴァ」OPの特徴は、音楽の細部との高いシンクロ率にあります。ただし、そのシンクロの内部をよくよく探っていくと、中盤のゲンドウ、ミサト、リツコ、レイの例は、あまりに整然とした、美しすぎる例であることが解ってきます。「エヴァ」OPのあちこちには、音楽の符割りに沿うかのように見せてそれを裏切る、複雑な構造が埋め込まれているのです。

映像の時間的精度

そもそも映像のフレームにはどれくらいの精度があって、音楽にどの程度合わせることができるのか。TVアニメは1秒間に最大30コマ単位で描かれます。つまり最速でも1コマには1/30秒、つまり0.033秒くらいかかることになります。ちなみに、アニメーションでは実際には2コマおき、3コマおき…という風にあちこちが「nコマ打ち」で描かれることが多く、しかも、何コマおきかは動画内でさえ変化することがあります。「エヴァ」のopの動画部分も、コマ数が一つの動きの中であちこち変化します(第二回参照)。

一方、音楽のほうはどうか。「残酷な天使のテーゼ」は一分間に4分音符が129回、つまりBPM=129で演奏されています。4分音符一つが0.48秒、アニメのコマ数で言うとおよそ14コマにあたります。この14コマという数字、あとの分析で使うのでちょっと覚えておいて下さい。

この曲は16ビートなので、16分音符のフレーズがあちこちに出てくるのですが、BPM=129の曲では一つの16分音符が0.12秒、アニメのコマ数に直すと3.5コマ…おっと端数が出てしまいました。つまり、「残酷な天使のテーゼ」くらいの速さの曲を、16分音符単位でぴったりコマの頭を合わせるのは無理で、あちこち少しずつ誤差が出るということになります(ちなみに、アニメだけでなく、実写も1コマ1/30秒なのでドラマのOPでも同じことが問題になります)。

描かれているコマを視覚的に把握するには、細かいビートを聴覚的に感じるよりも時間がかかるということも、覚えておく必要があります。目の前に突然何かの映像が現れるとき、おおよそそれが何であるかを把握するには、そこにどんな輪郭や形を視覚処理した上で、それがなんであるかを判断しなければなりません。映像を見て、ただぴくりと反応するだけでも0.15秒、「いぬ」とか「ねこ」といった簡単な単語で映っているものを答えるには、映像を見た瞬間から0.6秒くらいかかります(細馬宏通「からだは気づいている」webちくま )。もし「残酷な天使のテーゼ」の16ビート(0.12秒)で映像が矢継ぎ早に繰り出されると、それはもはや視覚の限界を超えており、何が映し出されているかを判断している暇はない、ということになります。

演出家やアニメーターはこうしたことを経験的に知っているのでしょう。これから見ていく「エヴァ」のショット編集の場合も、要となるショットはビートよりほんの少し(1-5コマ程度)前倒しに入って、視認しやすくなっていることがあります。

ビートの末尾に気を付けろ

ではそろそろ細部の分析に入っていきましょう。まずは前回取り上げた「いたいけな瞳」の直後、ショットがすばやく交代するシークエンスを見ておきます。というのも、ここで起こっていることは、サビのめくるめく視覚効果がどのようなものかを予告しているからです。

前回書いたように、綾波レイの瞳が二度まばたいた後、三度目にまばたくかというときに、そのまばたきと入れ替わるように、ロックボルトが開き、エントリープラグが挿入されます。問題は、そのタイミングです。プラグの挿入は、図1に示しているように、拍の頭より2コマほど前倒しで描かれています。そのおかげで、このショットは通常の1拍のコマ数である14コマより少し長い16コマになり視認しやすくなるとともに、レイのまばたきに食い込むかのような暴力的なタイミングを感じさせます。

図1:「いたいけな瞳」の「み~」以降のシークエンス。上段は小節内の拍数、中段はショット内容、下段はショットのコマ数。

このシークエンスではもう一つ、見逃せないことが起こっています。この部分の音楽はシンセを中心とする4拍のフィルインを奏でています。常識的に音楽に乗せようと考えるなら、この4拍に合わせて4つのショットを描けばよい。それこそ、ゲンドウ、ミサト、リツコ、レイのように。ところが、最後の4拍めだけ、どういうわけか1つではなく2つのショットが矢継ぎ早に折りたたまれているのです。ポーズをかけて何度も確認すれば、一つはレバーを引くシンジの腕、もう一つは、ハーモニクスを示す赤緑のパネルであるとわかりますが、予備知識なしに通常の速さで見ると、赤から緑に色が変わったなくらいの印象しか残りません。

短さもさることながら、わたしたちがこの2つのショットにうろたえるのは、そこまで1拍1ショットという律義な繰り返しが3つ続いているからです。プラグ挿入、初号機ハッチ、活動限界モニタ。このリズムで次もくるだろうと予想するので、そこに2つものショットが折りたたまれるときに、はっとさせられるのです。

この、拍の最後にさっと短いコマを畳みかける手法は後で見るようにサビでのショットの特徴となっていきます。ビートの末尾に気をつけろ。それが「エヴァ」OPを見るときの鍵の一つです。

ショットの分類

ここで、分析を進める前に、1つ、ショットの見方を準備をしておきましょう。「エヴァ」OPの短いショットには、動きを伴うものと、全く動かないものがあるのですが、両者のあいだではその印象は大きく異なります。具体的に考えるために、一つ一つのショットの性質を動きの度合いに応じて大まかに分類しましょう。

・動画: 通常の「動画」
・撮影効果付き静止画: 静止画にカメラの動き(パンやティルト、ズームなど)をつけたもの
・静止画: 動きのない絵
・テキスト: 「ANGEL」やNERVのロゴなど主に文字で構成された「テキスト:T」

以上4つです。

動きに注目した動画の4分類

簡単な分類法ですが、これだけでも、「エヴァ」OPの特徴がいろいろ可視化されます。たとえば、「だけどいつか気づくでしょう~」からサビの直前までの中盤のショットを観て見ましょう。すると、動きのあるショットの只中に4つの短い静止画がぽつんと置かれていることがわかります。これが、今回の冒頭に書いた、ゲンドウ、ミサト、リツコ、レイの4ショットです。つまり、これらのショットがOPの中で強い印象を残すのは、音楽の構造に合わせて静止画が交代するからだけでなく、動きのあるショットの中でこの4つだけがひととき、静かなたたずまいを見せるからなのです。

サビの分析(1)動画と静止画の対比

さて、長らくお待たせしました。いよいよ「残酷な天使のテーゼ」のサビ部分を分析していきましょう。作詞者の及川眠子が自ら指摘しているように「残酷な天使のテーゼ」のサビは、同様のメロディを三度繰り返すという変則的な構成になっています(及川眠子「ネコの手も貸したい」リットーミュージック)。そこで、サビを

(1)残酷な~
(2)ほとばしる~
(3)大空を~

の三つの部分に分けましょう。

メロディが繰り返すということは、それに伴う映像にも、繰り返し構造と変奏の構造が見られることになります。それが何であるかにも注意していきましょう。

まずは(1)「残酷な~」の部分です。一見してわかることは、短い静止画はばらばらに用いられているのではなくパッチ状に分布していることです。大きな傾向を書けば、前半の「残酷な~」の部分は、初号機を中心とした動きのある絵が中心で、一方、後半の「窓辺から~」に静止画は集中しているように見えます。

テキストのショットを表す緑色の部分にも特徴があります。ほとんどのテキストは2-5コマ、しかもビートが終わりかけるときに滑り込むように短く表示されます。ビートの末尾に異様な情報の負荷をかけることで、見る者に、何かを見逃したかのような感覚を与えているのです。

図3:サビの部分の動画タイプの分布(1)。M:動画、C:撮影効果付き静止画、S:静止画、T:テキスト

ではフレーズの内容をさらに細かく見ていきましょう。「残酷な~」で静止画のたたみかけが用いられているのは「天使の」の1箇所です。ここでは高橋洋子の歌声が四分音符で「て・ん・し・の」と刻むところですが、一つ一つのモーラにまるでアンダーラインを引くようにショットが割り当てられています。抑え気味のズーム・インで使徒の顔、微かに揺らめく炎の中に初号機、あたかもATフィールドのような火球、そしてそれを裏付けるようなABSOLUTE TERROR FIELDというテキスト。そして、これら4ショットに加えて、この部分には実はもう1つ、ほとんど視認できないほどのすばやさで、渚カオルの顔がわずか2コマの静止画で忍び込んでいます。「天使」の語のもとに使徒とエヴァとATフィールドが結びつけられる、その、掌のようにわずかなショットの隙間にカオルの姿が存在するのはかなり衝撃的なことなのですが、それが何を意味するかは、ここではあえて指摘せずに、本編を見た人だけの楽しみにとっておきましょう。ここでも明らかなように、「エヴァ」OPでは、ビートの末尾に気をつけなければならないのです。

一方、「窓辺から~」では、一転して静止画のたたみかけが起こります。その内容は主にNERVやそのメンバーに関するものですが、しかも、そのタイミングは、歌詞の16ビート性と同期するように仕組まれています。

図4:「(まど)べから」・「(と)びたつ」の符割り

その結果、通常の四分音符の長さ(14コマ)や八分音符の長さ(7コマ)から、コマの長さは逸脱します。たとえば「(まど)べから」と「べ」が跳ねるように歌われるところ(図4左)では、その跳ね具合(付点16分音符)に合わせるように冬月コウゾウと第三東京周辺地図のショットに11コマが割り当てられています。これが偶然でない証拠には、続く「(と)びたつ」のところ(図4右)でも、「び」で七つの目(3コマ)、「た」で碇ゲンドウ(7コマ)、「つ」でキール・ローレンツ(3コマ)のショットが割り当てられ、16分音符・8分音符・16分音符の長さに同期しています。もはやショットは歌詞の意味よりも、歌詞のビートに奉仕するかのようにその長さをコントロールされています。

極めつけは、「とびたつ」の後に連打されるドラムとホーンセクションによる16連符のフィルインの部分です。連打に合わせるように、わずか2-5コマの短い静止画が次々と交替しますが、見る者にはただ、ドラムに合わせて映像が切り替わっていることがわかるだけで、一つ一つをはっきり視認することはほぼ不可能です。

一方で、こうしたパッチ状のショットの塊は、「てんしの」の部分がそうであったように、ひとまとまりになることで、一つの意味を帯びています。16分音符の連打で塊となっている4つのショットは、「人類補完計画」の文字、若き日のゲンドウ、アダムの胚、白手袋を組むゲンドウ、なのですが、これらはあたかも「人類補完計画」とゲンドウの関係を示唆しているかのようです。また、それまで視認性の高かったNERVのメンバーたちの静止画(冬月、日向、青葉、伊吹、加持、リツコなど)に比べ、視認性を低めることで、NERVの表向きの機能からは隠された計画であることを思わせます。

ところで、この「窓辺から~」の静止画の洪水の中に、一つだけ動画が埋め込まれています。それは、伊吹マヤが目を開いてわずかに微笑むショットです。本編ではどちらかといえば脇役の伊吹マヤに当時人気があったのは、もしかしたら静止画ショットの中に唯一置かれたこの動画のせいだったのかもしれません。

サビの分析(2)思い出の裏切り方

今度は、サビの第二の部分、「ほとばしる~」以降を見てみましょう。ここでも、動画と静止画の偏りは明らかです。前半では、主として零号機、弐号機の動画が用いられています。「ほとばしる」ではとりわけ、曲のシンセ・パーカッションに合わせて弐号機がプログレッシヴ・ナイフを構えるのが実に気持ちよく決まって、見る者の高揚感を高めます。ビートの末尾には零号機と弐号機を表す「EVA-00」「EVA-02」というテキストもしっかりたたみ込まれています。

図5:サビの部分の動画タイプの分布(2)

それとは対照的かつ異様なのが後半です。「おもいで」という4音には、その倍の8つものショットが費やされています。その8つとは、シンジとミサト、そして西暦2000年のセカンドインパクトにまつわる過去の記憶、まさに「おもいで」の映像なのですが、これらの映像がどう互いに連関しているかは、物語の終盤にならないと明らかになりません。しかも8つの映像は、「おもいで」という4音をあちこちで分断するように2-10コマの短さで不規則に分断し、一つ一つを細かく視認することを許しません。

そのおもいでを「うらぎるなら」のところで振り切るように、胸に十字架のペンダント(それは「おもいで」のショットでもアップになります)をぶらさげたミサトがさっと振り仰ぐのも印象的で、少しあとでやはり同じように空を振り仰ぐシンジの似姿にも見えます。意外にも「エヴァ」OPでは、シンジについで(綾波レイや碇ゲンドウではなく)ミサトに関係するショット数が多いのですが、物語の前半では、なぜ彼女の役割がそこまで重要なのか、繰り返し描かれる十字架のペンダントはいかなる由来のものなのかは明らかではなく、彼女の「おもいで」の奥行きがはっきりするのもまた、物語がかなり進んでからです。

TV版の「エヴァ」を見るという経験は、毎回冒頭のOPを見るという経験でもあるわけですが、「エヴァ」OPに込められたショットの短さは、とても一度見ただけで把握ではなく、毎回、視聴者の注意のあり方が変わるたびに見方が変化します。OPを繰り返し見て、短いショットの連続を謎をかけ続ける問いとして何度も捉え直す。そのことによってそれぞれのキャラクターの奥行きが増し、その印象が変化していく。このようなOPの見方を生み出した点でも、「エヴァ」OPは大変新しかったのです。

サビの分析(3)タイポグラフィと少年の昏倒

さて、サビも終盤です。第三の部分「大空を」の部分を見てみましょう。

まず目立つのはクレジットです。黒地に白、太めの明朝体をタテヨコに組む「監督庵野秀明」の文字は、市川崑作品のタイポグラフィを彷彿とさせるものです。市川崑のタイポグラフィがどのようなものかについては、その正確な書体名を金田一耕助さながらの推理力で突き止めていく小谷充「市川崑のタイポグラフィ 「犬神家の一族」の明朝体研究 」(水曜社)をお読みいただくとして、ここでは、画面一杯の文字組で構成されたタイポグラフィには新聞の見出しに似た「事件性」が感じられること、そして「エヴァ」OPでは、監督のクレジット自体が「ANGELS」や「SECOND IMPACT」という文字同様、一つの事件(インパクト)として扱われていることを指摘しておきましょう。

そのクレジットを、初号機の腕の模様がプログレッシブ・ナイフのように切り裂き、エヴァの体に重なったシンジは昏倒するように倒れます。この姿も、最初の何話かを見た限りでは、エヴァにシンジが乗り込むことを表しているに過ぎないように見えますが、やがて、シンジとエヴァの境界が分かちがたいものであることが知れてくると、昏倒にも別の意味が感じられるようになってきます。

そして、「少年よ」という短いフレーズに合わせてシンジが振り仰ぎ、歯がみをし、ライトで照らされ、思いがけない笑顔で笑う頃には、ああまたあの狭くて液体の充満したエントリープラグの中に押し込まれる物語が始まってしまうのに屈託なく笑ったりして、と半ばシンジに同情しながら、本編の始まりに心躍らせることになるのです。

早稲田大学文学学術院・文化構想学部教授。日常生活やメディアにあらわれるさまざまな声と身体の動きを研究している。著書に『いだてん噺』『今日の「あまちゃん」から』(河出書房新社)『ELAN入門』(ひつじ書房)、『二つの「この世界の片隅に」』『絵はがきの時代 増補新版』『浅草十二階 増補新版』(いずれも青土社)、『介護するからだ』(医学書院)、『ミッキーはなぜ口笛を吹くのか』(新潮社)『うたのしくみ』(ぴあ)など。

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