NEWREEL
Feature

SXSW 2018 フィルム部門基調講演:バリー・ジェンキンス監督
SXSWと「ムーンライト」の意外な関係とは!?

kana Apr 5 2018

日本では“インタラクティブの祭典”として取り上げられがちな「SXSW」。しかし、25周年を迎えるフィルムフェスティバルもアツい。「レディ・プレイヤー1」を引っさげ登壇したスティーブン・スピルバーグ、クロージングフィルムの「犬ヶ島」のウェス・アンダーソンら(他にも多数)がこの地に集結。数多のトピックの中から、オスカー受賞監督、バリー・ジェンキンスが行った基調講演をレポートする。

FacebookTwitterLinePocket

 今年もアツい「SXSW 2018」

アメリカ、テキサス州オースティンで毎年開催されるエンターテインメントの祭典「SXSW(サウス・バイ・サウスウエスト)」。今年のトレンドの一つは「マイノリティ」。中でも、黒人差別を扱った映画作品や、初のイスラム教徒としてロンドン市長に当選したサディク・カーンのコンバージェンス基調講演といったプレゼンテーションが特徴的だった。

インタラクティブの祭典として紹介されがちのSXSWだが、実はフィルムフェスティバルとしてもアツい。今年25周年を迎えた会場には、「レディ・プレイヤー1」を引っさげ登壇したスティーブン・スピルバーグ、「ムーンライト」のバリー・ジェンキンス、ビル・マーレイ、スパイク・リー、日本公開中止になった「マザー!」のダーレン・アロノフスキー、オースティン出身のリチャード・リンクレイターら(他にも多数!)が登場。そしてクロージングフィルムにはウェス・アンダーソンの「犬ヶ島」と、映画マニア大興奮のラインナップとなった。人気の上映には、プラチナパス(最も高額の優先度の高いパス)ホルダーでも2時間並んで劇場に入れなかった…なんてこともありえるのだ。

長編映画もさることながら、MVやショートフィルムのアワード、Vimeo主催のプログラムが開催されるなど、映像カルチャーやコミュニティ感を存分に味わえるのもSXSWならでは。

その中でも、フィルムメーカー&映画ファンの心を打つスピーチとなったバリー・ジェンキンスの基調講演をレポートしたい。

SXSWで初朗読。幻のアカデミー賞受賞スピーチ

フィルム部門の基調講演をするバリー・ジェンキンス監督

ちょうど、時計が夏時間に変わった翌朝、アカデミー作品賞受賞作品「ムーンライト」の監督は、感無量の表情で登壇した。ジェンキンスとSXSWの関わりは深い。少なくとも彼にとっては。

ジェンキンスの長編処女作となる「Medicine for Melancholy」が2008年に初上映されたのが、ここSXSWの地からだった。基調講演でジェンキンスによって語られたのは、オスカー受賞監督になるまでの“困難を乗り越え夢を実現する”までの物語。

“アカデミー賞史上初の手違い(作品賞に間違って「La La Land」がアナウンスされた)”により、授賞式で声に出して読まれることのなかった、ジェンキンスの受賞スピーチから始まった。本人が声に出して読むのはこの舞台が初めてだ。「アカデミー賞を受賞するとは夢にも思っていなかった。それどころか他の誰でもなく、自分が自分に制限をかけ、夢を否定していた」と振り返り、「どんなに厳しい境遇であっても夢を諦めないでほしい」と、観客席にいるかもしれない未来のアカデミー監督や映画ファンに向けて夢と勇気を与えてくれた。

SXSWで始まった映画監督としての道。長編処女作「Medicine for Melancholy」

ジェンキンスは「Medicine for Melancholy」の制作時から、このフィルムはSXSWで上映すると宣言していた。実際、彼の映画が新人監督の登竜門的映画祭である、サンダンス映画祭で上映されたことはない。

9.11の悲劇を受け、湧き上がる想いから描いた「MY JOSEPHINE」。洗濯屋を営むアラブ人夫妻が「我々も同じアメリカ国民」であることを、彼らなりに意思表示した様子を描いた物語。

学生時代に監督したショートフィルム「MY JOSEPHINE」の頃から、ジェンキンスは映画監督としての道を歩みはじめていたのかもしれない。もしくは「ダイ・ハード」に魅せられた幼少時から、映画監督になる宿命だったのかもしれない。しかし、「Medicine for Melancholy」制作の舞台裏を聞く限り、映画監督としての覚悟はこの作品で明らかになったように感じた。卒業10日後にはロサンゼルスのHarpo Filmsで職を得て、順風満帆にキャリアを築いているように見えていた。ロサンゼルスで働いて2年が経った。「MY JOSEPHINE」以降、彼の作った作品は0本だった。

「自分がフィルムメーカーであるということが、映画を撮ったということが、嘘のように響きはじめました」

ジェンキンスは職を去り、やがてサンフランシスコの地に降り立つ。そこで彼は、人種のアイデンティティをテーマにした長編作品「Medicine for Melancholy」を作る決心をする。卒業から5年の歳月が経っていた。

大学時代の旧友に声をかけ、制作費は$12,000(約130万円)、スタッフ5人、15日間で撮影。そこには、後に「ムーンライト」の撮影監督を務めるジェームズ・ラクストンに、同じく編集担当のナット・サンダーズがいた。完成した、低予算自主制作映画「Medicine for Melancholy」は、10年前のこのSXSWでワールドプレミア上映されることになる。

僕はSXSWのフィルムメーカー

「僕はSXSWのフィルムメーカーなんだ」

「Medicine for Melancholy」上映の最終日目前、限られた座席数のシアターで同作品を観てもらいたい人に来てもらうため、SXSWのバックヤードで彼と仲間はSXSWに参加している映画祭関係者にメールを送りつづけた。その努力は実り、$12,000、5人、15日で撮った、2名の黒人青年がサンフランシスコの街を歩き回るモノクロフィルムは、その後、トロント国際映画祭で上映されることとなる。

翌年、同作品は劇場公開を果たし、ニューヨークタイムズ紙のアンソニー・オリヴァー・スコットによって“2009年の最優秀作品”に選出され、ジェームズ・ラクストンはインディペンデント・スピリット賞候補に、ナット・サンダーズはインディペンデント・スピリット賞3部門にノミネートされ、「Medicine for Melancholy」は成功を収めることとなった。

SXSWで断絶した友情が導いた「ムーンライト」への道

事件は翌年、「SXSW 2009」のクロージングパーティで起こった。フィルムスクールで一緒だった友人の作った美しい映画が上映された年だった。どういうわけか、彼らとジェンキンスはくだらないことから大喧嘩をしてしまう。パーティという公の場で叫びあうほどの大騒動に発展してしまい、ジェンキンスとその友人は絶交状態となる。

「Medicine for Melancholy」の評判を受け、エージェント契約も果たし、前途洋洋に見えたジェンキンスだったが、その後5年間、映画を作ることはなかった。SXSWに遊びに来るたびに、「バリー、次はどんな作品だい?」と聞かれる。しまいには、顔を上げて答えることができなくなり、逃げ出したりもした。その頃からこの基調講演の日まで、ジェンキンスの姿をSXSWで見ることはなかった。

「Medicine for Melancholy」から5年経ったある日。あの、SXSWのパーティで大喧嘩をした友人から突然電話がかかってきた。

彼女曰く、

「こんなこと、もうやめましょう。私はあなたのことが好きだし、あなたもきっと私のことを好きだと思っている。それに今、2人とも作品をまったく作れていない。どうにかしないといけないわ。あなたは作品を撮らなくちゃいけないし、私は映画をプロデュースしたいの。一緒に考えましょう」

その電話をきっかけに、2人の友情と映画人としてのキャリア修復作業として、共に取り組んだ作品が「ムーンライト」だった。撮影監督はジェームズ・ラクストン、編集はナット・サンダーズ。「Medicine for Melancholy」と同じ布陣だ。

「ムーンライト」を制作するにあたり、当初、周りの人間は企画に対して強い難色を示したという。

「いったい誰がそんな映画を観たいっていうの? 貧乏で、薬物中毒のシングルマザーの元で育つ黒人の青年が性について悩むという話を…」

しかし、ジェンキンスにとって、これが作りたい映画であり、撮りたい話だった。主人公のシャロンとジェンキンスの境遇は重なるところが多い。貧乏、薬物中毒のシングルマザーで黒人…。彼の映画のインスピレーションは常に、パーソナルな経験に基づいているようだ。製作陣は彼に全幅の信頼を置き、制作に踏み切った。

結果、この繊細で美しい映画「ムーンライト」はオスカーを受賞する。

共に嬉し涙を流した仲間には、絶交から再び友情を取り戻したプロデューサー、アデル・ロマンスキーの姿があった(ちなみに、アデルはラクストンの妻)。

ジェンキンスは講演の中で繰り返す。

「オスカーを受賞した夜、涙を流したとしたら、それは作品賞受賞に対してではない。“自分で夢の実現を否定していたこと”に対してだ」

夢は実現した。ジェンキンスは、どんな境遇であれ夢を見ることを、そして、その夢は実現できるかもしれないことを伝える。もしこの観客席に、映画制作に、もしくは映画人としてのキャリアに悩んでいる人がいたとしたら、どんなに励みになっただろう。終始、ユーモアを交えながらの軽快なトークだったが、ジェンキンスのたゆまぬ努力と苦悩が言葉の端々からうかがえ、観客の心を打った。

38歳のジェンキンス監督は、まだたくさんのことを学んでいる途中だと語る。現在、次回作のジェイムズ・ボールドウィン原作「If Beale Street Could Talk」がポストプロダクションに入っている。公開を楽しみに待ちたい。

bykana

NEWREELの編集者。コツコツと原稿を書く。

Latest

VIEW ALL