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変態(メタモルフォーゼ)アニメーションナイトというNEW CHANNEL(4・終) 変態ナイトのポテンシャル 渡邉朋也×土居伸彰

土居伸彰 土居伸彰 Dec 14 2017

「変態ナイト」主宰の土居伸彰による短期連載最終回。この連載の総まとめとして、2017年9月末にBookstore松で行われた渡邉朋也(美術作家)×土居伸彰による対談イベントの模様をお届けします。

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変態アニメーション的なものが広がっていく

土居 「変態ナイト」って、個人的なロジックを突き通す作品だと思うんですが、実はいま、世界的にこういう性質が求められている気がしてきていて。個人的な世界を突き通しながら、なおかつ大ヒットするみたいな事例みたいなものが出てきた。「変態ナイト」をやってきたものとして、2016年、新海誠が「君の名は。」で大ブレイクしたことに、僕は勇気をもらったんですよね。「変態ナイト」って、将来の大ヒット予備軍を紹介するイベントなんじゃないかという妄想が最近始まってきました。

渡邉 そういう話が、土居さんの「21世紀のアニメーションがわかる本」とつながっていくと思うんですけど。

土居 実はそうなんですよ。

渡邉 今の話と繋がるかどうかわからないですが、ハリウッド映画でもわりかしポッと出の若手の監督とかを突然大作映画に引っこ抜いてきたりするじゃないですか? ああいう流れがあるのかな? この前、YCAMにとある配給会社の方が来て三宅唱さんと話してて、アメリカはは制作会社がかなり大きなお金を持ってるから、青田刈り的な感じで、若手をピックアップするみたいなことがある。

土居 そういう例は世界的に出てきつつありますね。日本でも今年公開されて話題になった「新感染 ファイナル・エクスプレス」という実写のゾンビ映画があるんですけど、この監督のヨン・サンホは、ずっとアニメーションを作っていた。僕もGEORAMAというイベントで彼の過去作を上映したりしてたんですけど、「新感染」で初めて実写映画の監督に起用されて、2016年の韓国でのナンバーワン・ヒットになった。

ヨン・サンホ「豚の王」(予告編) 1月にシアター・イメージフォーラムで上映あります。

土居 だから、ビックフォードにもワンチャンスあるんじゃないかと妄想してます。彼、100本以上、長編のアイデアあるみたいなんで。その脚本をもらってきて、誰かに渡したりしたいですね。で、もし万が一それにお金を出す人が出てきたりしたら…たとえば中国とか、コンテンツを求めているプロデューサーが多いみたいなので、もしかしたら、ビックフォードのアイデアで、200億の予算で長編が作れたり……

渡邉 パチもんのディズニーランドを作るよりは、ブルース・ビッグフォード・ランドで作った方がいいですよね。思ったんですが、現代のものづくりのベースにあるような世界観があって、その反映の仕方の一端に「変態ナイト」のようなものが位置付けうるんじゃないかと。

土居 価値観や判断基準が多様化してますからね。そういうなかで、「変態ナイト」みたいな上映は、いろんな捉え方があって、いろんな生き方があって…というヒントになる。

渡邉 新海誠を引き合いに出されてましたけど、元々「ほしのこえ」から一部で話題にはなってましたよね。そういう動きがますます前景化したってことだと思うのですが、「変態ナイト」を最初にやったときから、そういう予兆を感じてたんですか?

土居 「変態ナイト」のスタートは2012年でしたが、2013年に宮崎駿が「風立ちぬ」、高畑勲が「かぐや姫の物語」をリリースして、そこでめちゃくちゃビビッと来たんですよね。すごく「変態ナイト」的だと思った。宮崎駿や高畑勲の行きすぎたこだわりが映像化されて、それがすごく大きなバジェットで作られて……それこそ、ビックフォードが長編を作ることと紙一重に思えた。

そんなふうに最近、小規模な作品と大規模な作品が同じリズムで成り立っているように思えることが多くなってきた。個人的なこだわりをめちゃくちゃ追求するけど、ヒットする、みたいな。クリストファー・ノーランとか。ノーランの映画にも、ノーラン自身の変態性というものをすごく感じる。

アニメーションの未来と何も意味しない記号

渡邉 俺、まだ本読んでないんであれですけど、今回土居さんが出された「21世紀のアニメーションがわかる本」というのは、様々な規模のアニメーションを参照しながらい現代の動向を読み解こうっていう話の本なんですよね? だから、この本を読んでもらうと、今土居さんがおっしゃっている話とかも手に取るようにわかるし、今後のアニメーションの展望のこともわかる?

土居 そうですね。未来がこうなるだろうってことは、隠れたメッセージとして書いてますね。

渡邉 へー。ちなみにどうなってるんですか?

土居 それはね、本を読んでください!

渡邉 そうですか!

土居 すいません! 言います! 基本的な動向でいえば、アニメーションはどんどん意味から離脱してくんだろうなと思っていて。たとえば、「君の名は。」って、1回では絶対に消化しきれないようなめちゃくちゃ複雑な構成で視聴覚的な刺激を浴びせまくるみたいな、そういったような作品になってるんですよね。それって、物語を体験するというよりも、さっきビックフォードの作品を語るときに言っていたような、視聴覚的な過剰さを体験するということと似ている気がして。今後のアニメーションは、そういうな流れになっていくんじゃないかなというのを強く思うんですよね。

渡邉 それはなぜなんですか?

土居 作り手が主体的に語る物語を観客が受動的に受け取るみたいな図式が薄れていって、いろんな解釈ができて一義的な意味に固定されることのないアニメーションが目立ってきたからです。

すごく象徴的だなと思ったのが、「アナと雪の女王」なんですね。あの作品って物語的にはすごく破綻しているというか、断片的なミュージックビデオ集みたいな感じの構成になってますけど、それゆえに、いろんな人が自分自身の立場に従ってその作品を読み解くみたいな現象が起こったわけ。女性映画としてだったり、同性愛だったり、障害だったり。これは昔のディズニーとは全然違うなと思ったんですね。昔のディズニーって、それこそ、例えば、「白雪姫」から始まる「プリンセスもの」では、主人公という一つの中心点があって、その人の世界観に全てが集約していく構図だった。「アナ雪」はそうじゃなくて、いろんな立場の人たちがいろいろなキャラクターやシチュエーションにコミットできる構造になっている。

アニメーションって、記号なわけですよ。本質的には何も意味してない。人間そのものが写ってしまう実写とはその点で大きく違う。そのアニメーションの記号としての特質が活用されつつあるのが現在なのかなと。アニメーションという記号が、何も意味しない記号、つまり、それぞれが勝手に意味を読み取っていく記号みたいなふうに傾向が変わってきている。初音ミクがそういう意味では象徴的な存在だなと思って。シンプルなキャラ設定だからこそ、それぞれのユーザーやファンが自分なりに意味づけしていけるっていう。そういう方法論だと、昔のディズニーみたいに白人至上主義だ! みたいな批判は交わしうる可能性がある。いろんな人が自分の立場を見いだせるという、きわめてリベラルな作品になりえる。

渡邉 自分は「アナ雪」の背後には、社会的な背景を担保しないといけないっていうある種の焦りというか、この社会が何かの拍子に脅かされるんじゃないかとか、それを守っていかなきゃいけないみたいな強い意志みたいなものをすごく感じて。そういったことから、多様性ある世界になって、それぞれの立場の人たちを投影しやすいキャラが生まれたという感じがしたんですよね。一方で日本ではそういう多様性の議論はこれからだと思うので、ああいうのが受け入れられるのは不思議だなと思ったりはしたんですけど。

土居 今のアニメーションで共通点として言えるのは、現状肯定的ということだと思います。僕が新海誠を面白いと思うのは、日本のアニメ史上初めて思想がない作家だと思うからですね。いままでのアニメの歴史では、それこそ宮崎駿や高畑勲とか「世界はこうあるべき」みたいな思想性がある。これはある意味で現状否定的だと思うんですけど、新海誠はあの綺麗な背景に象徴されるように「今自分たちが生きている世界はこんなに素晴らしい」ってことだけを徹底的に語り続ける。

渡邉 東浩紀さんも言っていたと思うんですけど、コンビニにも詩情はあるんだと。ポリティックなものとして感じさせられるような、なんかそういう力の演出の仕方をされますよね。

土居 全部OK、全部あり、なんでも受け入れますよ、というような。最近のディズニーとかもまさにそうなんですよ。世の中の多様な視点というものが、アニメーションの特質を活かして、全部入り込んでくる。それはおそらくマーケティング的な観点からも優秀なはず。いろんな立場の人たちにフォーカスを当てられるので。

渡邉 そういう時に、「変態ナイト」に代表されるような多様な解釈の可能な変わった気配のものが来ると?

土居 そうなるんじゃないかなと妄想するんですよね。ただ、ディズニーや新海誠の完全肯定のモードって、観客に自分自身の存在を反復させるというか、自分の世界をただ見出させるだけともいえる。昔、初音ミクのコンサートに行ったんですけど、その経験がとても印象深くて、武道館に一万人近くの人が集まっているんですけど、同じ初音ミクを見ているというより、みんなが微妙に違うバリエーションを見ているように思えたんですよね。

渡邉 誰のものでもないからね。自分との距離感ってそれぞれ、自分で規定しているんでしょうね。

土居 何も意味しないアニメーションのひとつの帰結はそこなのかなって。自分自身を反映させるだけ。何も意味してないから自分が見えてきてしまう。でも一方で、何も意味していないからこそ、違うものを勝手に見出せる可能性もあるんじゃないかと思ったりする。なんか今のアニメーションってその両極端に分かれているかなという気がしている。おそらく「変態ナイト」はその両方にまたがっている。わけわからないから自分が見えてきちゃうし、でもそこにおさまりきらない何かが別のものを無理やり見せもする。

アニメーションと現代の価値転覆

渡邉 土居さんがよく紹介してくれるアニメーション・ドキュメンタリーというジャンルがあるじゃないですか。ああいったものがジワジワ出てきている感じもするってのもそれも関係してるんですか?

土居 実写ベースのドキュメンタリーだと、観客はそこに写っている現実を自分とは違う境遇にいる人達のものだと思ってしまう。アニメーション・ドキュメンタリーの利点のひとつに、その距離を無化するというところがある。対象をアニメーション化すると、観客はそれを自分の物語として受けとめやすくなる。

渡邉 それはどういう効能なんでしょうね? アニメーションによって一度、抽象化されるわけですよね。

土居 そうすると、個別の人間ではなく、人間一般っていうレベルになるんですよね。

渡邉 なるほどね。それでアクセス可能になるわけですね。

土居 アニメーションって、そんなふうにして価値判断をひっくり返す可能性を持つものだと思うんですよね。それで、本来だったら共感できない立場の人に共感できるようになるかもしれない。逆に、初音ミクみたいに、実際に存在しないものの方が、人間よりもさらに親密に感じられるようになっていくこともある。

渡邉 なるほど。そういう話って、アニメーションだけではなく、映画だったりとか、所謂広い意味での現代美術とかメディアアートとかみたいなところにも共通する動向な気もしている。

土居 時代論的なところは、あまり表には出してはいないんですけど、書いているつもりではあるんですよね。

渡邉 今、創造の現場で何が起きているのか。ある意味でいうと、さっき多様性の話とかSNSとか情報テクノロジーとか、人の暗部みたいなのを露出させてしまったりとかね。あるいは、連帯させようと力を露呈するのかと、そういうところとの関わりもあるのだろうなと思うんですけど。

土居 アニメーションはやっぱり記号なので、人間の性質や認識が変わると、アニメーションという記号の性質も変わるんですよね。だから必然的に、現代社会論的みたいなものも担保される。

渡邉 その辺が面白いなと思っています。

(2017年10月8日、Bookstore松にて収録)

協力:マツトミ企画制作室

Bookstore松 山口市道場門前2-6-15PLEASE内


……というわけで、4回にわたってお届けしてきた「変態(メタモルフォーゼ)アニメーションナイトというNEW CHANNEL」、これにていったんお開きとさせていただければと思います。「変態ナイト」はイロモノのイベントにも見えるのですが、それが潜在させているポテンシャルはいろいろとあることを、分かっていただけたらいいなと思っております。簡単に言えば、(アニメーションの/のみならずの)未知と未来へとつながるためのチャンネル(妄想かもしれませんが…)。そのチャンネルの一番の近道としての「変態アニメーションナイト ザ・ツアー:セレブレート」に、是非お越しください。


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土居伸彰

アニメーションの配給やイベント企画・運営等を行うニューディアー代表。新千歳空港国際アニメーション映画祭フェスティバル・ディレクター。著書に『個人的なハーモニー ノルシュテインと現代アニメーション論』『21世紀のアニメーションがわかる本』(ともにフィルムアート社)