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変態(メタモルフォーゼ)アニメーションナイトというNEW CHANNEL(4・終) 変態ナイトのポテンシャル 渡邉朋也×土居伸彰

土居伸彰 Dec 14 2017

「変態ナイト」主宰の土居伸彰による短期連載最終回。この連載の総まとめとして、2017年9月末にBookstore松で行われた渡邉朋也(美術作家)×土居伸彰による対談イベントの模様をお届けします。

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ご近所の渡邉さんが目撃した「変態ナイト」、そしてピーター・ミラード

渡邉朋也(以下、渡邉) 近所に住んでる渡邉です。今日はアニメーション研究・評論の土居さんが来るということでやってきました。

土居伸彰(以下、土居) 2017年9月末、「21世紀のアニメーションがわかる本」(フィルムアート社)より出版した刊行記念、そして、「変態アニメーションナイト ザ・ツアー:セレブレート」という上映イベントをやること、その両方の宣伝を兼ねたイベントをさせていただけないかということで、今回山口にやってまいりました。Bookstore松という新しい本屋さんにお邪魔しています。ちなみに昨日は、博多駅のHMV&BOOKS HAKATAさんでトークをしたのですが、今日は同じ場所でモーニング娘。が握手会をしています。

渡邉 今日、自分は土居さんじゃなくてモーニング娘。とトークイベントをやっていた世界線もありえたということですね。

土居 そうなりますね。ご近所にお住まいの渡邉さんは、美術作家であり、YCAMという施設でお仕事もなさっており、「変態ナイト」も初期からご覧いただいている方です。

左:渡邉朋也、右:土居伸彰(於:Bookstore松)

渡邉 普通は「アニメーション」とか「アニメ」と言うと、テレビで夕方に放送されているものとか、映画館で家族と一緒に観るものとか、そういったものを想起されることが多いと思うんですけど、そういうものではないもの。アニメーション作家の水江未来さんが「じゃない方のアニメ」って言ってたような気がするんですけど、土居さんはそういうインディペンデントな作品を掘り起こしてらっしゃる。自分も5年前の一番最初の「変態ナイト」にお邪魔させていただきまして、そこで上映する作品たちに、非常に大きな感銘を受けたんですよね。

その後、2013年にYCAMで「変態アニメーションオールナイト」を開催した際には、ピーター・ミラードをお迎えして。ピーター、そのときに監視のバイトをしてると言っていたような記憶があって。まだ、続けてるみたいですね。

土居 まだ続いています。監視のバイトをしながら、空いた時間で作品を作ってます。

渡邉 ピーターの作品って、シュールレアリズムとかね、そういう美術的な動向に繋げようと思えば繋がるような感じもするんですが、そういうような話とかは置いておいて、爽やかさというか、無軌道さがあって、見ていて清々しくなる……。「変態ナイトでは、これを劇場でなんの前知識もなく観るわけですよ。」

土居 そうそう。戸惑うわけじゃないですか。

渡邉 一種の交通事故ですよね。ようするにアニメーションとかって、ビデオカメラを使って実写映像をつくるのとは違って、基本的には作者が隅々まで画面をコントロールして、構築的につくっていくわけですよね。だから、ノイズというか、アンコントローラブルな要素は少ないし、存在していたとしても、それは意図した演出の範疇だと捉えられると思うんです。しかし、ピーターの作品に関しては、事故というか災害というか、作り手本人がどこまでコントロールしているのかよく分からない。むしろコントロールしているのだとしたら、どこに向かっているのかという不安もある。尺も短いし。当時とても衝撃を受けた作家ですね。

土居 「変態ナイト」は、そういう「事故」の作品を多く集めるイベントです。僕は海外の映画祭にたくさん行くわけですよ。そしたら、たまにやはりその手の事故が起こる。なんかの間違いでコンペに入ってしまった作品がある。「変態ナイト」で紹介する作家って、すごく特徴的な作風の方が多いから、下手すると入っちゃうんですね。でも、絶対、受賞はしないんですよ、こういう作品って。

渡邉 「キング・オブ・コント」で準優勝したにゃんこスターもある意味で事故というか、コントという枠組みを全部ひっくりかえしたような音ネタで、そのことを思い出しました。作っている最中に、これは客観的に面白くなるぞって思えたのがすごいなという。発見と割り切りですよね。コントは繰り返し練習しないといけないだろうし、つくるのにそれなりに時間がかかると思うのですが、その割り切りを維持できたのがすごい。

一方でアニメーションも作るのにそれなりに時間がかかると思うんですよね。なんで、これを作ろうと思い、そして、いまなお同様のアプローチでつくり続けられるのか?それを支えているのはなんらかの確信だと思うんですよね。ピーターはロイヤル・カレッジ・オブ・アート出身ですが、卒業以降はピーター独自の方法論さえ感じさせるものに昇華しているようにも思います。そもそも、方法論が必要なタイプの作品なのかというのもありますが……。しかしピーターの作品ってサムネイルがすごいですよね。どれが古いとかどれが新しいとか、時系列がない感じがすごい。

土居 僕にとって、「変態ナイト」で上映する作品を作っている人たちというのは、勇敢なことをやっている人たちの集まりというふうに思えますね。別に賞が獲れずとも関係ない、っていう。特に短編アニメーションなんて、ちゃんと作ったとしてもそんなにお金になることはほとんどなかったりするので……。

渡邉 孤独に押しつぶされそうになったりしないのかな?

土居 ちょっと病む時期もありますね、ピーター(笑)。

渡邉 そうなんだ。土居さんと自分は、2011年くらいから学生CGコンテストというコンペの審査でご一緒していたのですが、選考委員で一緒だった馬定延さんというメディアアートの研究者の方が、アニメーションを作る作業のことを称して「労働」という風に言っていて、とても印象深いなと思っていて。労働を維持するためには、ある種のインセンティブとか、モチベーションっていうものをどういうふうに設計するのかが対になってると思うんですね。そういうときに、どうすればああいう作業を続けられるんだろう?っていうのが、「変態ナイト」の作品を見ていて思うわけです。ピーターの作品だって、数秒の作品でも数ヶ月はたぶんかかるわけじゃないですか?

土居 「ピーターと6人のアルファベット神様」という作品では、ずっと「ABCDEFG….」ってアルファベットが出てくるんですけど、アルファベットをずっと描いているのが辛かったって。

渡邉 それが辛かったら、今までの作業も結構辛かったんじゃないかな?(会場爆笑)

ピーター・ミラード「ピーターと6人のアルファベット神様」(予告編)

メタモルフォーゼとアニメーション、ブルース・ビックフォード

渡邉 「変態」というタイトルはメタモルフォーゼを意味しているわけですよね。形が移転して変形していくというのにわりかしフォーカスを当てている。

土居 昔から、「一番アニメーションらしいアニメーションはメタモルフォーゼである」みたいな議論ってあるわけですよ。それこそが映画でも漫画でもできないアニメーション独自のものだって。手塚治虫や宮﨑駿も昔の本を読むとその種のことを言っている。それにつながる部分でいうと、ブルース・ビックフォードがいる。物語はいちおうあるんですけど、物語よりも、粘土がずっとグチャグチャと変容しつづけるところにびっくりする。

渡邉 最初の「変態ナイト」でやった「CAS’L’」は40分ぐらいですよね。広島でのことでしたが、上映が始まる前に土居さんがあらすじ説明してくれたんですけど、何言っているのかぜんぜんわからなくって。言ってることはわかるんですけど、何を言いたいのかぜんぜんわからない。「すごい力が湧きでる庭があって、そこをアマゾネスが守っていて、人間なども生えたりするんだけど、その力をめぐって争いが起こる」みたいな話を丁寧に説明してくれて。でも、ぜんぜん訳わかんなくて。

土居 でも、ものすごいエナジーだけは感じられる。

渡邉 エナジーしかない。

ブルース・ビックフォード「CAS’L’」(一部)

土居 変態ナイト」でやっているのは、その「エナジーしかない」ような作品が多い。アニメーションはきちんと整ったものになることが多いこともあって、「変態ナイト」の作品は初見ではなかなか受け止めきれないですよね。

渡邉 広島の時はオールナイトではないけれど、比較的遅い時間帯で、タイムテーブルみたいなのはなかったから、いつ終わるのかわからなかったことを覚えています。ビックフォードの作品は、見ているうちに、「この作品終わらないんじゃないか」と思い始めて。「このままこのわけの分からない作品が終わらなくて、自分は広島で死ぬんだ」と真剣に考えていました。これどこで始まってもいいし、正直、どこで終わってもいいですよね(笑)。

自分はご本人ともお会いさせてもらったんですけど、「ディズニーランドみたいなのを作りたい」っておっしゃってるんですよね。

土居 そうそう、ブルース・ビックフォード・ランドを作りたいと言ってて。

渡邉 エンターテイメントとして多くの人に届けたいと。

土居 本人はエンターテイメントを作っているつもりなんですね。だから、実はどの作品もシンプルな血肉沸き踊るようなプロットなんです。でも、ブルース・ビックフォードの問題は、そのプロットが同時に6つぐらい進行しちゃうこと。同じ画面上で。普通の映画って1個だけじゃないですか、ストーリー。でも、ビックフォードの場合、いろんな場所でいろんな物語が同時に起こっちゃって。いくらエンターテイメントでも、6本同時に流れると受け止めきれないじゃないですか? それが起こってるんです。

渡邉 ピザがあって、ピザ食べてる人がいるんですけど、同時にピザからいろんなものが出てピザになって……。

土居 だんだん言葉で追いきれなくなってくる……。

渡邉 ねー。

土居 それがいいんですよ。

渡邉 あのおっさんとか、さっきピザだったんだけどなぁみたいな。今は狼がいるけど、それもさっきまではピザだったっていう共通点っていうか……。なんか、ピザでありながらおっさんであって、車だったり、バイキンみたいなやつだったりみたいな、全部混在したものとしてあって、だんだんこう、混濁していくんですよね。

ブルース・ビックフォード「BOAR’S HEAD」(一部)

土居 変態アニメーションナイトは、そういった「異常」な作品をいかに楽しく見てもらうかっていうのをすごく考えていて。MCを入れるのはそういう理由なんですが。異常さに唖然としつつ、「これはこれで良くない?」っていう鑑賞体験も提供したい。ある意味で、補助線を引くというか。作品だけ見せられてもポカンとしちゃうんで、「これは普通に考えるとおかしいことですよ」っていう確認もしたほうがいい。「ポカンとしたよね? ポカンとして面白かったよね?」というように促していく役割がMCにはある。「変態ナイト」っていうタイトルもそうだし、ポスターも昔のホラー映画のポスターのオマージュみたいな感じにしていて、来るお客さんに「ヘンなものをみるぞ」という心の準備をしてもらう。そして最終的には、観客も「こういうやり方もあっていいんだ」と思ってほしい。

渡邉 観ると動体視力が上がるような感じがする。そういう身体的効果が伴う上映イベントだと想います。隅々まで動き回っているから、それを追ってるだけで、身体能力があがっていくような感じがあって、そういう感覚を味わえるようなアニメーションっていうか映像体験ってなかなかないからね。

アメリカの記憶喪失、ヴィンス・コリンズ

土居 短編アニメーションは1人で作れてしまうので、ある意味でいうと「変態ナイト」の作品はとても短編らしいともいえる。自分のロジックを突き通せる形式だから。長編やテレビではそうはいかない。物語を具体的に展開するしかない。手描きアナログ系だけじゃなくて、3DCGもやります。

渡邉 ヴィンス・コリンズですね

土居 ヴィンス・コリンズも70年代から活躍し続けている作家さんで、もうおそらく70代を超えている。この人、昔はセルアニメーションを作っていて、「Marlce in Wonderland」みたいな伝説的な作品も残している。でも急に90年代からCGを始めて……もうCGを20年ぐらいやっているんですけど。

渡邉 CGを20年やってて、あれなんですか?逆に怖いですね。

ヴィンス・コリンズ「アニメーション・スクール・ドロップアウト」

土居 そうなんですよ。「変態ナイト」で上映する作家、たいていの人は会ったことあるんですけど、ヴィンス・コリンズだけは会えたことがなくて……サンフランシスコ在住なんですけど、「会えませんか?」ってメールしたら、NOって。「私はもう人とは会わないようにしてるんだ」っていう返事が来て。

渡邉 なんかすごい不安になりますね。でも、ヴィンス・コリンズの作品は、品があっていいですね。初心者がCGを使って安易にメタモルフォーゼさせようとすると、ソフトウェアの機能的特徴が前面に出ちゃうと思うんです。それあんまり出ないようにメタモルフォーゼさせてたから、そういう意味で20年の研鑽の跡が見えたかも知れない。

土居 とはいえ、じゃ、なぜ、こんなものを作り続けているのか、わからなくなる感じがある……

渡邉 そう、逆にそれが怖くなる……。

土居 アメリカって変わった作家が多いですよ。ヨーロッパは短編アニメーション制作に助成金が出るので、それなりにちゃんとしたものを作る人が多い。でもアメリカって、日本も同じなんですけど、アニメーションが産業として成り立っているから、アニメーションに対して助成金を出すという発想がない。そんななかで短編アニメーションをつくり続ける人って、相当奇特。

渡邉 ブルース・ビックフォードのドキュメンタリー映画(「モンスター・ロード」)を観ましたが、親の遺産を喰い潰しながら、文字通り獣道をかきわけるように制作を続けていたのが印象的です。

あと、「変態ナイト」の恐ろしいところは、エナジーだけ浴びて、何が起きたか忘れてしまうこと。YCAMでビックフォードを二度目に観終わったあと、土居さんに「音楽変えたんですね」って言った覚えがあって。でも、音楽は当然変わってなかった。俺、尺も変わったと思ったんですね。新しいシーン追加されたと思ったら、ぜんぜん追加されていなくて。記憶に定着しないんですよ、これらの作品たちって。だから、2回とか3回とか観ると、ようやく作家の名前とか作品の名前みたいな、そういう部分で覚えられるというか。

土居 物語で勝負しているわけじゃないから、何回観ても、新鮮に思えるんですよ。

渡邉 俺、最初の数十秒見てようやく、「これ観た」って思い出せる。思い出したといっても、ありありと当時の質感っていうか感触を思い出す。「そういえば、このいい感じ、感じたことあるわ」とみたいな。

土居 「変態ナイト」、同じ作品も何回も上映したりするんですけど、「これ、観たことある、あれだ」っていうのと同時に「いや、本当に見たことあったっけ?」みたいな感じにもなるっていう。知覚のメタモルフォーゼ。

渡邉 情報とかコンテンツとかっていう言葉では表しきれない。なんか、マッサージとかそういう体験とかに近いようなものですよね。だから、何回観てもいい。

日本の作家も紹介するんですよね。

土居 冠木佐和子という日本の優れた作家の上映もします。彼女は短編作品が海外でもすごく評価されている人なんですけど、最近はSNSでちょっとバズったりもしている。「ゴキブリ体操」という短い作品があるんですが、twitterを検索すると、中学生とかが真似して踊っている動画がたくさんアップされている。

渡邉 冠木さんは、佐伯誠之助という人の音源に合わせてアニメーションを作ったりしていて、下ネタも多いですよね。

冠木佐和子「ゴキブリ体操」

土居 自分自身のパーソナルな話とつながっているのが面白い子です。あと、日本人だと他には、姫田真武くんの作品も最近上映してます。彼はひとり「うたのおにいさん」をしている。曲も踊りもアニメーションも自作で。

渡邉 大学の後輩なんですが、すごい暗くて怖いんですよ(笑)、作品とのギャップが。姫田くんも「変態ナイト」の括りに入ってるんですね。

土居 個人的には、将来的な変態大スターになると思ってます。ビックフォードやヴィンス・コリンズみたいに、60代〜70代になっても作りつづけるはず。

渡邉 間違いないですね。70過ぎても歌うおじいさんっていう呪縛というんですか。

土居 「ようこそぼくです72」とかにまでなって。

渡邉 ピエール瀧の「体操48歳」みたいなね。

ひめだまなぶ「ようこそぼくです1」

土居 姫田くんも昔から「変態ナイト」を観にきてくれて、「なんか勇気が出る」みたいなこと言ってくれる。

渡邉 それはありますね。勇気をもらえる上映。これはぜんぜんアニメじゃないですけど、小川紳介の「千年刻みの日時計」とか、最近だったらアレクセイ・ゲルマンの「神々のたそがれ」とか、この間、YCAMで爆音上映をやってた加藤泰「鬼太鼓座」とか。制作期間が10年を越えてる作品は、作家個人の生活と作品世界が混濁しているような感じがある。ああいうのを観ていると、ある種の勇気が湧いてくる。何事も厭わないスタンスというかスタイルに衝撃を受けます。

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