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オープニングで考えるアニメーション
「映像研には手を出すな!」の巻(1)

細馬宏通 Feb 20 2020

細馬宏通さんによる新連載「オープニングで考えるアニメーション」がスタート! 第1回目は大注目アニメ「映像研には手を出すな!」のOPについて。あの痛快でクセになるOPアニメーションには、いったいどんな秘密が隠されている!?

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映像研で考える

こんにちは。NEWREELでははじめまして。細馬といいます。人の声と動きのことをいつも考えています。だから、映像を見るときも、声と動きの関係が気になってます。よろしくお願いします。

それにつけても「映像研」。

「映像研には手を出すな!」は、あまりにたくさんの魅力にあふれていて、どこから話せばいいのか途方に暮れてしまうのですが、原作はもちろんのこと、2020年1月、ついに始まったアニメ版にことばにできないほどの多幸感を感じている者として、そこはあえてことばにしなきゃだろう、と勝手な使命感に燃えて、このたびキーボードを叩き始めたのです。

さあ何を書こう。やっぱオープニングだよね。「映像研」のOP、絵も曲も何回観ても気持ちよく、リリックがまた実に原作のエモーションを見事に汲んで、道を歩いていても頭の中で鳴り出してしまうのですが、では、そのOPに緻密な作画や絢爛豪華なテクニックが使われているかと問われると、うーん、どうなのか。冒頭からキャラクターの顔を、というより画像全体をエフェクトでぐいぐい歪ませてしまうあまりにシンプルかつワイルドな手つき、イントロの背景はベタもしくは壁紙で、キャラクターの静止画がぐりぐり回転するのみ。そして始まった動画はくどいくらい何度も同じ動きが使い回されている。もしかして、作りがチープすぎやしないか?

否、むしろ、このチープさこそ「映像研」OPの大きな魅力じゃないか。アニメーションソフトを初めて手にした者が、あちこちボタン触って図形おいて拡大縮小自由変形、ひんまげてずらして消してまず感じる衝動は、「これ、楽器弾くみたいに動かしたい!」。もちろん現実にはキーフレームの一枚一枚、心を込めて作画中であるとしても、できあがって動き出すアニメーションは、エフェクタ踏み大音量超高速ギター鳴らす勢いで世界をおいてきぼりにすべき、するべしだ。それが実現されているのが「映像研」じゃないか。どアタマからディストーションぐっと踏み込むように画面全体がぎゅんぎゅん歪む、キャラクターたちぐるぐる回転、その突き出す拳の上を、船が、飛行機が、タンクが、円盤がEasy Breezyに進んでいく、何より、歌が始まってからの死霊3人盆踊り、そのDrakeも真っ青のダサい振り付けが思いがけない速さで繰り返されたあとに訪れる、うねうね動くシルエットのフロウ感といったら! しかもそのシルエットの妖しい光というのが、100円ショップで売ってるきらきらステッカー実写で取り込んで作ったというから痛快じゃないですか。この、最強の妄想を手近にあるもので実現してしまうセンス、まさに「映像研」の活動そのものじゃないか。そう、片っ端からなんでもまるごと動かしちまいたい衝動にあふれたこのOPは、まるで金森さやか、水崎ツバメ、浅草みどりの3人によって創られたかのよう、アニメーションに打ち込み過ぎる彼女たちの熱が込められているかのようなのです。そして映像からあふれ出すその衝動は世界の人々のハートをもぐっとつかんでいるに違いなく、何よりそれが証拠には、YouTubeには早くもこのOPのミームがいくつも上がっており、鬼滅の刃が、スポンジボブが、ジョジョがぐいぐい歪んで回転し、もはやキャラクターでは飽き足らず、映像の中で踊り出しちゃう人までいる。

こちらが「鬼滅の刃」バージョン

真似する人が次々現れることは、観る人を思わず創作に向かわせる初期衝動がこの作品に埋め込まれていることを示しています。もしもFlash(Animate)やAfter Effectsをがんがん使えたら、わたしだって、こんな風にちまちま文字列打ち込んでないで、お気に入りのキャラクターにエフェクトぐいぐいかけまくってミームづくりに精を出していたことでしょう。残念ながらその才能はないので、かわりと言ってはなんですが、ここでは、その衝動をテキストにぶちこんで、これから「映像研」OPについて語ろうと思うのです…

え、これから? すでにけっこう語ったのでは? いやいや、わたしはまだ問題の入口にすら立ってやしません。だって、あのひときわぐっとくる盆踊り、いや、キャラクターのダンス、というか舞いが、なぜかくも観る者の心をつかまえて離さないのか、それをただ「チープ」というひとことで説明してしまっていいのか、そこに込められたテクニックとパッションの一端を明らかにするくらいのことはしなければ、ミーム作りまくってる連中と初期衝動を分かち合うことすらできやしないではないか。というわけで、ずいぶん文字数を費やしてしまいましたが、実はここまでが話のイントロです。では、本題に入りましょう。

OP6つのカット

「映像研」OPのスタッフとしては絵コンテが湯浅政明監督、アニメーションにはAbel Gongora、木下絵李、Nick McKertowの3人がクレジットされています。わたしは一鑑賞者に過ぎないので、どのスタッフがどの作業をどんな風に進めたのかは知りません。ただ、いっけんチープに見えるこのオープニングが実はとんでもない精度でできていることは分かる。そこで、ここからは、誰の仕事か、ということはおいて、3人の舞いの部分について、あくまで映像を手がかりに分かることを考えていきます。

では、ここからちょっと地味な作業にお付き合いいただきますよ。めんどくさい奴とお思いでしょうが、ちゃんとあとで報われますからね。

「はい始まった」。

というところから「Easy Breezy」(作詞:Rachel・Mamiko、作曲:ryo takahashi・Rachel・Mamiko、編曲:pistacio studio)の3人の舞いは、始まります。舞いは、基本的には3+3=6つのカットでできています。まずは各カットに記号をつけましょう。キャラクターの登場順(金森→水崎→浅草)にイニシャルを用いて前半の3つをK1・M1・A1、 後半の3つをK2・M2・A2とします。また前半と後半は彩色が対照的なので、前半を「ノーマル」、後半を「サイケ」と呼びましょう。画面向かって右のことを「上手」、左のことを「下手」と呼び、登場人物にとっての左右と区別します。
それぞれのカットで3人は次のように動いています。

《ノーマル》
K1: 金森:下手に両掌を向け構える
M1: 水崎:下手に顔向けシェー
A1: 浅草:下手に向かってカンフーアクション、おどおどした目つき

《サイケ》
K2: 金森:下手に顔向け、右手構えてにらむ
M2: 水崎:上手に左腕水平に伸ばし、右腕上に上げてカメラ目線
A2: 浅草:上手から回転後、上手に体傾け、両腕上げ目ぱかーん

わかりやすいように模写した図をのっけておきますね。

下手に気をつけろ! ―3人世界の始まり―

3人の舞いを見て、まず最初に気づくのは、目の開閉の差です。ノーマルでは、金森(K1)も水崎(M1)もずっと目をつぶっており、浅草(A1)だけが、下手に向かって目を見開いている。これに対してサイケでは、金森は腕を構えた瞬間に目をかっと見開き(K2)、水崎はずっとカメラ目線で目を開けており(M2)、浅草は片目で上手を狙うように見てから、覚醒したように黄色い目を開きます。身も蓋もない言い方ですが、ノーマルに比べてサイケでは、3人は世界に対して目を開いている、と言えるでしょう。目の開き方にはキャラクターの特徴も出てますね。金森は睨む、水崎はカメラ目線で、浅草はウロがきたかと思うとぱかーんと覚醒する。

3人の体に、ある種の指向性があることにも注意しましょう。まず下手に対してはネガティブな指向が見られます。まず金森が下手に対して両掌を開き、拒絶を思わせるポーズをとり(K1)、水崎は下手に背を向けてシェーを決め(M1)、浅草も下手に向かってカンフーアクションかましてからウロたえた目つきでポーズする(A1)。とどめは再び金森が下手に仮想敵でも見つけたかのように、ぐっとにらみをきかせる(K2)。一方、上手にはポジティブな指向が見られます。水崎が読者モデルっぽく左腕を優雅に上手に出し(M2)、浅草は片目で上手に狙いを定めてから、上手に体を預けるようにぱかーんと笑む。大まかにいってノーマルでは下手に対するネガティブな指向が見られ、K2を経てサイケでは上手に対するポジティブな指向が見られるというわけです。

この指向性の変化は、背景の動きによっても後押しされてます。よく見るとノーマルでは背景は上手から下手に流れ、サイケでは逆に下手から上手に流れている。そのせいでノーマルからサイケに移ったときに、なんだか潮目が変わった感じがするのです。

さて、これら、3人の視線と体、そして背景に表れる動きは何を表しているのでしょう? それはリリックをきくと分かります。リリックは、次のように同期しているのです。

カット:リリック
K1: はい始まった
M1: 絡まった
A1: からかった
K2: やつらは
M2: どっかへ
A2: いっちゃった

「始まった」といいながらまだ金森は覚醒前で(K1)、「絡まった」のは水崎なんですね(M1)。金森と浅草という同級生コンビに、水崎があとから絡みだす第一話を思い出させます。そしてA1から、リリックはひとまとまりのことを言ってます。「からかったやつらはどっかへいっちゃった」。わたしはここで「桐島、部活やめるってよ」に描かれたような、スクールカーストにおける映画部の位置づけを思い出したりするのですが、それはともかく、学校において映像に打ち込んでる自分たちをバカにする「やつら」がいて、そいつらがこちらを「からかった」。その「からかい」と浅草の挙動不審カンフーアクションが同期する(A1)。浅草の目の焦点が合ってない。危うし浅草氏。しかし「やつら」に金森がにらみをきかせると(K2)潮目が変わります。「どっかへ」で水崎が溌剌と伸びをして(M2)、「いっちゃった」で浅草が「やった!」と解放的な表情になる。

オープニング前半のごく一部、合計わずか4秒足らずの6つのカットとリリックを経て、下手の不穏な「やつら」の気配は消え、3人の目は見開かれ、せいせいして、いよいよ世界が始まりました。まだ、始まったばかりです。

(つづく)

早稲田大学文学学術院・文化構想学部教授。日常生活やメディアにあらわれるさまざまな声と身体の動きを研究している。著書に『いだてん噺』『今日の「あまちゃん」から』(河出書房新社)『ELAN入門』(ひつじ書房)、『二つの「この世界の片隅に」』『絵はがきの時代 増補新版』『浅草十二階 増補新版』(いずれも青土社)、『介護するからだ』(医学書院)、『ミッキーはなぜ口笛を吹くのか』(新潮社)『うたのしくみ』(ぴあ)など。

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