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いまの自分に疲れている人のためのあおぞら技術用語
「GANの巻」

清水幹太 清水幹太 Jan 29 2020

あおぞら技術用語連載、第13回は「GANの巻」。早熟だったゆえにスネ毛が早めに生えてしまい、周囲の同級生から「スネちゃま」といじられまくった清水幹太さん。今回は自身のスネ毛体験をもとに「GAN(generative Adversarial Networks)」について解説します。

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自然界の摂理

「踏まれた麦は強くなる」という本がある。元大関・霧島による自伝的作品だ。平成初期に活躍した筋肉隆々の力士。徹底的にビルドされた肉体をもって人は「和製ヘラクレス」と呼んだ。辛抱に辛抱を重ね、30歳を超えて、遅咲きの大関に昇進、「努力の人」とはこの人のためにある表現であろう。その努力を自分の視点から書き綴ったのがこの本だ。フランスのジャック・シラク大統領(当時)は、この本を読んで感動し、「もし政治家になっていなかったら、私は力士になりたかった」と述べたほどだ。ここには、1つの道に邁進することの素晴らしさが描かれている。

鍛錬。文字通り、鉄は叩く・鍛えることで密度を増し、強くなる。鍛える、とは負荷をかけて成長するということである。「踏まれた麦は強くなる」という書名も、まさにこの「鍛錬」そのものを言い換えた表現ということになる。

これは自然界でもわりと共通の原理で、物というものは、負荷をかけると強くなるのだ。世の中、そういうことになっているのだ。

筋トレだってそうだ。「筋肉は裏切らない」とはよく言ったもので、適切な負荷をかけて、しっかりと筋線維を破壊すれば、筋肉は肥大していき、どんどん強くなっていく。身体に負荷をかければ、身体が強くなる。

しかし、この自然界の摂理によって、困ったことが起こることもある。

私は、5月3日生まれだ。憲法記念日に生まれたがゆえに、生まれたときに名前を「憲太郎」にされかかったらしい。ちなみに、女の子だったら、「リラ」という名前になる予定だったらしい。ちょっとリラちゃんとして生きてみたかった感じもするが、とにかく私は5月3日生まれ、同学年では、生まれるのが早かった方、ということになるし、翌年3月生まれの同学年よりは1年近く成長が早いということにもなるので、成長も速かったし、そもそも身長がでかかった。

小学校くらいだと、この早生まれと遅生まれの生理的な差がまだまだ顕著に出る。その影響をモロに受けたのが、小学6年生の頃だった。小学4年生のときに、良い点を取ったらディスクシステムの「リンクの冒険」を買ってもらうという約束で模試を受けた。その結果が思いの外良く、「うちの子はやればできる子!」と完全に盛り上がってしまったうちの母親は、小学5年から中学受験専門の進学教室である四谷大塚(毎週模試みたいなのをやる塾)に私を入れ、そこから2年間、レベル高めの中高一貫校に入れようと躍起になる。お受験というのは、実に親を狂わせるもので、母親は毎週の試験結果に一喜一憂していた。

その頃私が目指していたのが池尻大橋にある中高一貫校である、駒場東邦中学校だった。今では中学受験界では「新御三家」とか呼ばれているらしい。さしずめ野口五郎あたりか。この「駒東」に狙いを定めた母は、毎週の四谷大塚の学習の上に、より「駒東」に特化した準備を進めるべきなのではないか、と考えた。四谷大塚の学習は汎用的で、駒東の過去問を重点的に攻めるわけではなかった。そして、その時期、私の四谷大塚での成績はそれなりに頭打ちになっていて、何らかのテコ入れが必要だった。

早熟ゆえの悲劇

そこで、母が白羽の矢を立てたのが、下北沢に開設されていた「ひのき進学教室・駒東特訓コース」だった。いや、そんな感じの名前だった。正確な名前は忘れた。駒東コースというくらいなので、「駒東」を目指す少年たち(駒東は男子校である)が集まっていた。私はそこで、5月生まれの早熟であったがゆえに、そこにいた少年たちにいじられまくることになる。

当時私は、半ズボンを履いていた。小6といえば、そろそろみんな長ズボンを履き始める頃だが、私は半ズボンしか持っていなかった。しかし、私は長ズボンを履くべきだった。なぜなら、私の大腿部から脛にかけては、既にこの時期にはちょっと早い、第2次性徴の先鋒隊が到達していたからだ。

スネ毛。私は小学生であるにも関わらず、そこそこスネ毛が生え始めていた。しかも半ズボンだ。半ズボンを履いた小学生、その脛にはスネ毛。この年頃の小学生なんて、みんなこのへんのネタは大好きなわけで、新しくやってきたスネ毛少年である私の登場に、そこそこ教室が色めき立った。

「スネちゃま」「スネ毛くん」と呼ばれるようになった。つまり、スネ毛のスネちゃまだ。主に私のことを「スネちゃま」と言っていじったのはその後、無事に一緒に駒場東邦に入学し6年間を共にすることになる辻くんだった。現在の中央大学文学部教授、社会情報学の世界では多くの著書と実績を残している辻泉氏だ。辻くんの著書、「鉄道少年たちの時代: 想像力の社会史」はこれだ。

この、のちの社会情報学者・辻くんが私のスネ毛をとにかくいじった。

いじられた私は、長ズボンでも履けばよかったのだ。しかし当時の私は、長ズボンにスイッチするのではなく、なぜかスネ毛を剃る、という裏目としか言いようのない判断をした。結果として何が起こったか。

剃った部分から剛毛が生えてきたのである。小学生らしい、産毛の延長線上にあるようなスムーズなスネ毛だったはずの私のスネ毛は、じょりじょりの剛毛にバージョンアップして戻ってきたのだ。リターン・オブ・ジェダイだ。「踏まれた麦は強くなる」ように「剃ったスネ毛は剛毛になる」のだ。排除することで、負荷をかけることで強くなる。まるでテラフォーマーズだ。それに対して、辻くん(現中央大学教授)がどう反応したかは、想像するまでもないだろう。その時点で私は「スネ毛に半ズボンで歩く成長の早い小学生」から「ジョリジョリのスネ毛に半ズボンで歩く成長の早い小学生?」みたいなものにクラスチェンジしたのだ。「ジョリジョリくん」とか呼ばれて替え歌にされるくらい覚悟しても良かったはずだが、さしもの辻くんもそこまではしなかった。

この、「負荷をかけて強くなるシステム」を「剃ったら剛毛システム」と呼ぶことにする。元霧島の陸奥親方や、世の中の強くなりたい方々が怒りそうな気もするが、剃ったら剛毛が生えてくるのは事実なのだ。これは「剃ったら剛毛システム」だ。ちなみに、この原理を利用して、円形にスネ毛を剃ると、そこだけ剛毛になって「ミステリーサークル」になることを発見したのもこの頃の話だ。まるで、畑に描かれたミステリーサークルのように、剛毛部分が綺麗な円を描くのだ。

この「剃ったら剛毛システム」は自然の摂理のようなところがあって、世界のあらゆるところで見ることができる。自然の摂理であるから、小学6年の私をもってしても逃れることはできなかった。それは技術の世界においても例外ではない。例えば最新のAIというか、機械学習の世界にも「剃ったら剛毛システム」っぽい仕組みというのは存在する。この、最新版人工知能系「剃ったら剛毛システム」が、今回扱う「GAN」だ。

まさに「鍛錬」

GANとは何か、GANとは、「generative Adversarial Networks」の略であり、これは日本語だと「敵対的生成ネットワーク」ということになる。それだけだとさっぱりわからないだろうし、何が剃ったら剛毛なのかもわからない。

ディープラーニングという言葉にはこの連載でも何回か言及しているが、すごく平たく言うと、猫の画像があったとして、今までは、耳が三角で目が大きくて・・・みたいな猫の特徴を人間がコンピュータに教えてあげることでそれが猫の画像か否かを判断していたところ、10000枚の「これが猫ですよ」という画像を解析することで。コンピュータが勝手に「猫かどうかの条件」というか特徴を見つけてくれて、判断してくれるようになるような技術だといえる。

GANは、その仕組みを利用して、存在しない画像をでっち上げたりすることができる仕組みだ。

ちょっと前に話題になった、実在しない人の顔写真を無限に生成できるウェブサイトなんかはこのGANという仕組みを使っている。その他にも、落書きを町並みの画像に変換したり、白黒画像をカラーにしたり、イラストを写真っぽくしたりするようなpix2pix系の技術もGANベースだ。

GANというのは、こういう「でっち上げ系AI」(例によって、「人工知能」という言葉はミスリードが多いので、ちょっと使うのが憚られるがここでは便宜上「AI」という言葉を使う)の教育のやり方の1つだ。AIっていうのは教育をちゃんとしてあげないとまともな結果を出してくれない。

例えば先述の例だと、「これが猫ですよ」という正解画像を山ほど見せて、その正解画像の共通点を見つけてもらうようなやり方も1つの教育方法だ。で、このGANという教育方法は、だいたい「剃ったら剛毛システム」なのだ。

たとえば、「猫の画像を無限に生成できる」システムみたいなものをつくるとする。そのために2つのAIをつくる。1つは、「猫の画像をでっち上げるAI」で、もう1つは、「そのでっちあげた写真が本物か偽物かどうかを見破るAI」だ。

「猫の画像をでっち上げるAI」が何か画像をつくる。「そのでっちあげた写真が本物か偽物かどうかを見破るAI」は正解となる猫の画像を持っていて、それと、でっちあげられた猫の画像を見比べて、「こんなん全然猫じゃないよ!」と言って叩き返す。

そうすると、「ちくしょう。これじゃまだダメなのか」なんて言って、「猫の画像をでっち上げるAI」がもうちょい猫よりではないかと思われる画像をでっち上げる。「こんなん全然猫じゃないよ!」と言って叩き返される。しかし、そんなことをやっているうちに、「猫の画像をでっち上げるAI」がでっち上げる画像は徐々に猫っぽくなっていく。ボコボコにダメ出しを食らっているうちに、だんだんでっち上げ能力が上がっていく。同時に「そのでっちあげた写真が本物か偽物かどうかを見破るAI」の方も目が肥えてくる。このやり取りを繰り返しているうちに、「そう簡単にダマされないAI」が成長していく。

「まんが道」で、若き日のつのだじろう先生が師匠である島田啓三先生にめちゃくちゃダメ出しされて、何度も何度も書き直しさせられて、しかし苦しみの末に立派な原稿を完成させる、というエピソードがあるが、あれを思い出す。師匠と弟子の関係は時として美しい。そして、GANにおける2つのAIの関係は、ある種、猫画像をでっちあげる「弟子AI」とそれをボコボコに評価する「師匠AI」と呼んでも良いかもしれない。美しくも厳しい師弟関係が繰り広げられる。

まさに「鍛錬」。「踏まれた麦は強くなる」。「剃ったら剛毛システム」で、どんどんAIが賢くなっていく。剃られては剃られては、剛毛が生えている。

こんなAI師弟コンビの鍛錬の結果、実在しない人の顔写真を無限に生成できるウェブサイト、みたいな、まるで本物の人物のような誰かの写真が生成される。

筋肉は裏切らない。剛毛も裏切らない。AIも裏切らない。

GANなんて、たかだか5年前に考案された技術だ。

そして「剃ったら剛毛システム」みたいに、自然界にはいろいろと、新しい技術の参考になるような現象がたくさんある。自然の摂理・自然の風情をテクノロジーに持ち込むことで、今までにないようなやり方を作り出したりすることもできる。デジタルの世界は、あくまで現実世界の延長線上にあるのだ。

身の回りのちょっとした自然現象をヒントにして、とんでもないイノベーションを生み出したりすることができるかもしれない。

現実世界でも、技術の世界でも、漂っている「風情」は同じだったりするのだ。

清水幹太

バーテンやトロンボーン吹き、デザイナーを経て、ニューヨークをベースにテクニカルディレクターをやっている。

BASSDRUM( http://bassdrum.org