デジタル時代の伏線
平成が終わってしまった。令和になって半年以上、すっかり令和も板についた。
私の世代(いわゆるナナロク世代、1976年生まれ)は、昭和末期に幼少時代を過ごした。その時代、子供雑誌には、リニアモーターカー、空飛ぶ車、みたいな未来のインフラに、流線型の建物、宇宙人みたいなけったいな服を着た人々、というようないわゆるステレオタイプな「21世紀の未来世界」のイメージを提示されてきた。
中学に上がるかどうかで時代は平成となり、そのうちに本当に21世紀になり、バック・トゥ・ザ・フューチャー2で描かれた2015年という「未来」が本当に来てしまった。バック・トゥ・ザ・フューチャー2では指紋認証やらウェアラブルデバイスなどが未来の技術として描かれているが、そういったものは実際に実現してしまった。空飛ぶ車は無理だったが、現実が未来を超えたようなケースもある。そうこうしているうちにその「未来」である平成も終わってしまった。
世界的には平成も令和もないわけなので、こういう区切りは日本人固有の感傷みたいなものかもしれないが、なんだかんだ言って、平成元年から見た令和元年は、未来世界だ。平成元年には「インターネット」は存在はしたものの一般人が知っているようなものではなく、研究用の何かだった。平成の時代に、半端ない量のコンピュータが普及し、デジタル絡みの仕事も爆発的に増えた。この30年で、ファミコンは Nintendo Swicth にまで成長した。テクノロジーは日毎に変化した。インターネットという破壊的なインフラが普及したことで、情報もどんどん拡散した。ありとあらゆるテクノロジーがにょきにょき生えてきて、いつのまにか人間社会は半端ない量のテクノロジーに包まれてボーボーになった。その中で、必然的に新しい概念と新しい言葉が発生してきた。
この連載で扱ってきたような技術用語も、総じて平成の時代に生まれて広がった概念だ。インターネットも、ソーシャルメディアも、スマートフォンも、生まれた年代はどうあれ、平成に生まれた革命的な概念であり、言葉だろう。そして、令和の時代の文化や社会は、こういった概念をベースにして変化し、成長していく。イノベーションは、イノベーションを踏み台にして起こるのだ。
じゃあ、平成の時代の飛躍的な変化がベースにしていた、昭和の時代のイノベーションもあったはずだ。今回は、昭和に生まれて、このデジタル時代の伏線となった革命的な技術、そして技術用語について書いてみようかと思う。
実はこの技術・技術用語もまた、昭和元年には存在せず、しかし平成元年には当たり前の存在になっていた。「イノベーション」というものは世の中の「当たり前」を変えてしまうもの。次の時代の「当たり前」をつくるということなので、令和元年たる現在においては、ほとんど空気みたいなものになっていて、話題にも上らない存在だ。ちょっと聞いたことはあるかもしれないが、それがなんなのか、いかにやばいものだったのか、ということはそこそこ忘れられているように思える。
なので今回のこの記事は「え? あれって名前くらいは聞いたことあったけど、そんなにやばいものだったんだ!」という体験になるはずだ。
昭和のイノベーション
人間っていうのは、いろんなものを「コントロール」することで勝ち抜いてきた生き物だ。野生の馬を飼い馴らして乗れるようにして、高速で移動できるようになった。米や麦を自分たちの思い通りに育てられるようにして、安定して食料を手に入れることができるようになった。そんなふうにして、いろんなものをコントロールして、進歩してきた。
平成の時代に飛躍的に進歩したインターネットも、その前提にあるコンピュータも、そういった「コントロール」のおかげで成立しているものだ。何のコントロールかというと、「電気」のコントロールだ。
電気というのはそもそも雷からの放電だったり、静電気だったり、自然界にあるものはそう簡単に量や強さをコントロールできるようなものではなかった。
しかし、たとえば私たちはスピーカーから音楽を流して聴いたりするわけだが、これは電気の流れ方をコントロールして、レコードやCDに刻まれた音源やデータを振動に変換して音を再現することで実現できる。つまり、電気をコントロールしないことには不可能なことをやっているのだ。
19世紀の後半にエジソンが電球を発明して以降、電気技術の歴史は、いかにして電気を飼い馴らすかの歴史でもあった。20世紀前半には真空管が登場し、電気の増幅や変調・発振などが行えるようになった。電気をコントロールできるようになったのだ。これによってスピーカーなんかも実現可能になった。昔のテレビに使われていたブラウン管なんかも、仕組みとしては真空管に近い。難しい仕組みは省くが、電流っていうのはすなわち電子がたくさん飛び出る、ということなので、電子が飛び出る量が増えると電流というのは増える、ということになる。たくさん電子を飛び出させるために熱を与えて、真空に電子を飛び出させてその量を電界などをつくってコントロールするような仕組みだ。
これがラジオやスピーカー程度なら、真空管で問題ない。単純に音の信号を増幅するだけなら単純だから真空管一発で大丈夫だ。ところが、真空管というのはどうしても大きい装置なので、機材をコンパクトにできない。たとえばポータブルラジオみたいなものは、真空管だと実現するのが難しい。真空管そのものがポータブルな代物ではないからだ。真空管は、形としてもごついし、電力を食うから小型の電池なんかではなかなか動かない。しかし、長い間、電気をコントロールする仕組みとしては基本的に真空管が利用された。
そんな、真空管時代を打ち破った「昭和のイノベーション」が、今回のテーマである「トランジスタ」だ。戦後間もなく、ゲルマニウムの結晶を挟んだ2本の針の片方に電流を流してその量を上下させると、もう片方の針に流れている大きな電流が同じように上下する、という不思議な現象が発見された。いろいろはしょると、小さい電流を大きい電流に増幅できる、ということになる。これを利用すると、真空管みたいなごつい仕組みを使わなくても電流を増幅したりすることができる。そして省電力で使える。省電力・小型な仕組みで電力をコントロールできるようになったのだ。形としては、せいぜい小指の爪みたいなもので、非常にコンパクトだ。
「トランジスタラジオ」なんていう言葉を聞いたことがあるだろう。これは、1950年代くらいに発売されて流行した「携帯ラジオ」だ。小型の電池で動く、持ち運びができるラジオは、電流のコントロールの仕組みが真空管からトランジスタに進化したことで初めて登場できた。これが人々の生活を変えた。ラジオは「一家に一台」から「一人に一台」の時代になった。トランジスタラジオがなかったら、若者が深夜にラジオを聴くこともなく、「オールナイトニッポン」もなかった。
この「トランジスタ」という言葉は、実は言葉と言葉を組み合わせた造語である。最近の言葉だと「熱さまシート」みたいなのが近い。これは「熱冷まし」と「シート」を組み合わせて「熱さまシート」なわけで、そんな言葉はもともと存在しない。同じように「トランジスタ」という言葉はトランジスタが開発されるまで存在しなかった。これは「transfer=伝達」と「resister=抵抗」を組み合わせた新しい言葉だったのだ。電気抵抗のバランスを調整して電気の伝達をコントロールするから「transfer+resister」で「トランジスタ」というようなことなのだ。つまりこれは、昭和元年にはなくって、平成元年には当たり前に存在していた「イノベーション・ワード」だ。
技術用語の「幸せな晩年」
トランジスタがもたらした影響はラジオなどにはとどまらない。コンピュータっていうものは、電気信号をオンオフしたりしてコントロールすることで、いろんな計算を行うものだ。そういう仕組みが大量に詰め込まれて多重にオンオフを重ねることで難しい計算をやってくれる仕組みだから、真空管時代はえらいことになっていた。今のコンピュータより全然処理能力が低い原始的なコンピュータでも、でかい部屋いっぱいを埋め尽くすようなごつい仕組みになっていた。ラジオと同じように、真空管がトランジスタになったことで、ゴゴゴゴゴーっと小型化したのは想像に難くないだろう。
そう、まさにトランジスタの発明を契機として、電子機器はガンガン小型化し、ウォークマンが登場し、ノートパソコンが登場し、デジタルカメラが登場した。トランジスタという畑の上に、どんどん新しいテクノロジーが生えてくる。そんな神技術がトランジスタだったのだ。
パナソニックも東芝もソニーも、トランジスタをつくって成長してきた。
で、このトランジスタをつくる上で必ず必要な材料というのが、あの有名な「半導体」だ。金属や他の半導体と組み合わせることで、条件によって電気を通したり通さなかったりする、電気をコントロールする上で都合の良い部品をつくれる素材、それが半導体だ。みんな半導体半導体言っているが、なんでそんなに半導体がやばいのかはなかなか知られていないような気がする。半導体があると、「気軽に電気を飼い馴らせる」のだ。やばいのだ。
そしてこの半導体物質の代表的なものがみなさんおなじみ「シリコン」だ。新弟子検査で身長が足りない力士が頭に注入するアレだ。豊胸手術につかうアレだ。新弟子も豊胸手術の人も、みんな体内に半導体を入れているのだ。世界規模のスタートアップがぽんぽこ生まれるアメリカのシリコンバレーは、なんでシリコンバレーなのかというと、もともとトランジスタの研究所がここにあったりした関係で、Intelのような半導体メーカーがこの場所で起業して、半導体の街として繁栄したからだ。
お察しの通り、現代のコンピュータなんてどんどん小型化されたトランジスタの固まりのようなものなので、現代においても、私たちはトランジスタのおかげで効率的に仕事ができるし、いつでもどこでも音楽を聴けるし、映像を見れるし、ある種何でもかんでもトランジスタを利用しているのだ。トランジスタが世界を動かしていると言ってもいい。トランジスタの街だったシリコンバレーを中心に世界が動いているのも道理なのだ。ちなみに、現代のパソコン用のプロセッサ(「CPU」と呼ばれているやつ)には、10億個以上のトランジスタが入っている。真空管の時代から考えると、めちゃくちゃな小型化が実現されている。トランジスタは、もはや空気のようにどこにでも存在していて、インターネットやスマートフォンといった「平成のイノベーション」は、「トランジスタ当たり前時代」であったからこそ生まれたものなのだ。
時代と技術というのはともにある。昭和の時代にトランジスタが登場した背景には、そもそも電気を動力として使うというイノベーションがあったし、過去に遡れば、各々の時代を代表する技術というものが存在する。だから、技術用語は、時代を映す鏡でもある。そして、「トランジスタ」のように、時代の経過とともに空気のようになり、存在が希薄になっていくというのは、技術用語にとって幸せな晩年であるのかもしれない。
令和の時代には、何が生まれるのか。平成元年にとっての令和元年が未来であったように、令和が終わる頃には、また別の未来が私たちの前にあるはずだ。令和にとっての「トランジスタ」はなんだろう。それは今頃、どこかの研究所で生まれているのかもしれない。あるいは誰かの頭の中に眠っているのかもしれない。令和の時代を大きく動かす、新しい技術用語がもうどこかで生まれているのかもしれないのだ。
(マンガイラスト・ロビン西 /協力・泉田隆介)