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いまの自分に疲れている人のための あおぞら技術用語
「“食べる”の巻」

清水幹太 Aug 28 2018

清水幹太さんによる技術用語解説の第6回が更新! 私たちのふだんの生活に欠かせない“食べる”という行為。これってAI開発においてもけっこう重要な意味を持っているんですよね。

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血糖値が上がった

3年前のある日の朝、嫁(元看護師)に捕まって、「お前は太り過ぎだから、今すぐこれをやれ」と言われた。

これ、というのは「血糖値検査キット」だ。時計のような計器の先に、リトマス試験紙みたく、血液を吸う紙みたいのがくっついていて、そこに血液を染み込ませると、血糖値がわかる、というものだ。

血糖値がわかるのは良いことなのだが、血液を出すのが辛い。特に怪我などがなければ血液というものはそんなに常には出ていないものだから、わざわざ血を出さなくてはいけない。

ゆえに、この血糖値検査キットには、指などに瞬間的に針を突き刺して血を出すという、恐ろしい「瞬間針装置」がついている。もちろん日常的にこれをやっている方はいらっしゃるかとは思うので、すごく大変だと思う。しかし、私などは、小学校に医者がやってきてワクチンの接種を行った際などにも走って屋上に逃げたほど、針のようなもので刺されるのは嫌いなので(好きな人はいないと思うが)、もうこれが本当に怖くて、朝から嫁から逃げ回ることになった。

これ、本当に一瞬チクッとするだけで、それはまあ血は出るが大して痛くない。だけど、なんというか、「引き金を引くと瞬間的にグサッと針が出る」という構造が非常に怖いのだ。

この朝の後、何回か定期的に血糖値の測定をすることになってしまった。このやり方で一番良いのは、耳たぶから血を採る方法だ。神経がないから全然痛くないし、何ていうか、自分の目でそのさまを見ることができないのが結構いい。

このとき、血糖値検査の結果としてわかったのが、「血糖値が糖尿病と言えるくらい、かなり高い」ということである。糖尿病は一度なってしまうとなかなか治らないというか、完治はしない病気であるし、「これはやばい」となった。

もともと私は過食の気がある。ストレス耐性が低いのか、仕事が大変であればあるほどバカ食いしてしまうところがあるし、間食も多かった。辛いものから甘いものまで何でも食った。太る条件は完全に揃っていたし、太るべくして太った。そして行き着いた先がこの血糖値だ。

子供もまだ小さいし、どうにかしなければいけない。医者に行ったら、「とにかく痩せろ」と言われた。少し通院をする可能性も出てきた。

糖質制限で痩せたった

絶望的な表情で会社に出て、通院の可能性などを説明していたときに、デザインディレクターの室市さんが「いや、これ読んで実践すれば全然治るし痩せますよ。ダマされたと思って読んでください。」と言ってゴリ押ししてきたのが「炭水化物が人類を滅ぼす」という本だった。

(いや、滅ばねーだろ・・・)と思いつつ、一読してみた。

要するにこの本の中で語られているのは、いわゆる「糖質制限」である。人間はそもそも炭水化物を始めとした糖質ではなく、農耕が始まる前の肉食こそが本質であるから、そもそも炭水化物なんか摂っていると身体を壊すのだ、みたいな話だ。一読した後、私は完全に感化されていた。「糖質は本来、人間が摂取して良いものではない。毒みたいなものだ」「ごはん一杯分は角砂糖14個分だ。とんでもないことだ」などと考えるようになった。

いやむしろ、「炭水化物が人類を滅ぼす」と思うようになっていた。

その日から、本格的な糖質制限生活が始まった。自分の場合はなかなかすごい効果を実感することができた。前述のように、なかば糖質制限教に洗脳されてから始めたから、自分なりにかなり徹底できたのもあって、体重はどんどん減っていった。

実際のところ、糖質制限の糖尿病に対する効果は長期的に見ると怪しいものだとされているし、効果は人に寄るところが大きいと思われる。だいたい、日本糖尿病学会は糖尿病の治療として糖質制限を推奨していない。しかしまあ、自分の場合はそれなりに効果があった。

もっと面白かったのは、糖質制限を始める前は、突然身体がかゆくなったり、だるかったりと、今考えると体内がベタベタした感じがしていたのだが、体重が減る以前に、それがみるみるうちになくなっていき、身体からどんどんベタベタしたものが出ていくような感じがしたのだ(これも個人差はあるものだと思うので、あくまで私の感覚だが)。

なんていうか、身体がどんどん入れ替わっていくような感じ、細胞がリニューアルされていっているのが実感できた。

それは実は本当のことで、人間の細胞というのは、食い物を食べて汗をかいてウンコをしている間に、つまり新陳代謝していくうちにガンガン入れ替わっている。これは、ググってすぐに出てきたキュレーションメディアみたいのに載っていただけなので信用ならないが、だいたい身体全体の細胞が入れ替わるのに6年くらいかかるらしい。6年で総とっかえだ。

さらにしばらく経つと、寝起きが良くなって、日中に眠くなることもなくなり、頭もスッキリしてきた。糖質制限なので、その間私は肉とか卵とか、チーズとかのタンパク質ばっかり摂っていた。糖質制限は、焼肉を食っても唐揚げを食ってもまあ大丈夫なのが良い。あとは海苔だ。海苔を買い込んで仕事中にばりばりと食っていた。

その間に、「炭水化物が人類を滅ぼす」を薦めてきた室市さんは、「これからはココナッツオイルですよ。ミランダ・カーも毎日食っています」とか「オオバコ粉末を食うと、何も食べなくても満腹になります」とか、どんどん新しい情報を入れてきたが、私は一貫して糖質制限にこだわった。

半年もすると、もはや自分の血液がサラサラなのが体感できるレベルにすらなった。1年もすると、体重は30kg近く減っていた。めっちゃ痩せた。血糖値は、結局取り返しのつかないところまでは行っていなかったらしく、どうにか正常値に戻っていた(これも個人差(略)……)。あと面白かったのが、今までになく酒というものが美味しく感じられるようになって、酒好きになった。

見た目も別人になったが、自分としては、やはり身体全体が浄化されている感じというのが強かった。運動は特にしていなかったし、「食べる」という行為の対象を変えただけで、こんなことになるのか、と驚いた。

トレンディな技術用語

あおぞら技術用語、今回のテーマは「食べる」だ。この連載は技術用語をテーマにした連載であるから、当然横文字を中心とした技術用語をテーマにしてきた。しかし今回は「食べる」だ。「技術用語じゃないじゃないか!」と思われるかもしれない。しかし、「食べる」は立派な技術用語であり、実際、ちょこちょこ技術の現場で使うことがある。いやむしろ、ここ最近、使う機会が増えてきている技術用語かもしれない。

我々人間や動物は、日々何かを食べて生きている。食べることは、生きることであるとも言える。

私たちは、かなりいろんなものを食べる。野菜に肉に魚、果物にお菓子に炭水化物、虫なんかを食べることもある。筆者はいま、この原稿をアーモンドを食べながら書いている。

何かを外部から摂取して、それを消化して、自分の身体の一部にしていく。それが「食べる」ことのプロセスならば、ちょっと似ている仕組みがある。この数年で大きなトピックとなり、トレンドワードとなった領域。いわゆる「人工知能」である。

「人工知能」という言葉は、なかなか危険というか、ミスリードの多い言葉で、「知能」っていうのが自分で自発的に考えて行動して勝手に知識を得て成長していくような能力なのだとしたら、そういう意味での「人工知能」はまだ開発されたとは言えない。なので、知能だと期待して、ちまたの「人工知能」に触れると、「なんだよ全然頭良くないじゃん」みたいにがっかりすることになる。

よくある会話ボット(「AI」スピーカーなどもそう)のようなものも、基本的には会話のパターンをうまく解析してそれに合った言葉を返しているだけなので、知能って言っといて全然知能まで行ってなかったりする。

「人工知能」という言葉は、なんていうか、すごい「万能感」とか「夢」をはらんでいる。人工知能さえあれば何でもできると勘違いさせる無駄なエネルギーを持っている。この言葉を手にすると、みんなみんな落合陽一になってしまう。

私が働く、広告やコミュニケーションの領域の偉い人とかでも、なんかすごい無茶なことでも「そんなの人工知能とかあれば簡単にできるんでしょ?」みたいに言い始めてしまう傾向があって、他の人全員(できねーよ・・・!)と思っているんだけど相手が偉いから口に出せない、みたいな状況は津々浦々で発生している。

それだけ魔力がある言葉ではあるのだが、人工知能がこの数年でこれだけもてはやされているのは、なんと言っても「ディープラーニング」の発見・発明がきっかけだろう。

ディープラーニングは、機械学習という仕組みの一種だ。

たとえば、いろんなカラー写真と、そのカラー写真をモノクロにした画像を大量に用意する。それをディープラーニングの仕組みで解析させて、どんなパターンがもともとカラー写真ではもともとどんな色だったのかを学習させて、傾向を導き出す。

そうすると、「葉っぱ」みたいなパターンのところはもともと緑色になっていることが多いんだな、ということをコンピュータが勝手に理解する。葉っぱだけではなく、あらゆるパターンについてそれが行われ、「こんな模様は元はこの色だったはず」みたいなルールをどんどん蓄積する。

結果として、モノクロ写真をカラーに変換できる魔法のプログラムができるというわけだ。

うちの父の子供のころのモノクロ写真なんかが、見事にそれっぽくカラーになると、とても感動する。

こんなような仕組みがディープラーニングだ。

上記の、データを学習させるとコンピュータが勝手に傾向や特徴を探し出してくれる、というところがディープラーニングの画期的なところで、それまでは、人間が特徴をコンピュータに教えてあげないとコンピュータは何も判断できなかった。

それが多少なり、「コンピュータが勝手に判断する」ということができるようになったからこそ、ディープラーニングの登場は、非常に大きなブレイクスルーなわけであり、「すわ人工知能じゃー!」みたいなブームにつながることになった。

そんなディープラーニングだが、そのディープラーニングの仕組みの出来不出来、クオリティを左右するのは何だと思われるだろうか?

それは、データの質と量である。たとえば、大量の顔写真を解析してその顔の「美しさ」を判定できるようにするシステムがある(筆者が過去に手がけた「Deeplooks」)。この場合、すべての顔写真をなるべく同じ条件で解析したいので、「横を向いた写真」なんかは質の悪いデータ、ということになる。解像度が低いデータ、とか、目をつぶっている写真、なんかも質が悪い。

正面を向いて、全体的に同じ大きさに調整されている顔写真たちが、この場合の良いデータ、なのである。

いいAIはいいデータから

そこで、「食べる」だ。何かを外部から摂取して、それを消化して、自分の身体の一部にしていく。

実は、ある仕組みがデータを取り込んで処理することを、開発者の間では「データを食べる」と言うのである。

「もっといいデータ食べさせたら精度上がると思うんですよねー」とか「今度はちょっと違うデータ食べさせて(食わせて)みようか」なんていうやりとりが普通に繰り広げられている。

ディープラーニングのシステムは、まさにそうやって「食べた」=「取り込んだ」データを消化して成長していく。

悪いデータを食べさせ続けると精度の悪いものができてしまうし、良いデータをなるべく多く食べさせれば、よりよいシステムができていく。

そのあたり、私たちが食べ物を食べるのと似ている。だからこそ、データを取り込むことを、技術の世界で「食べる」と言うのは、なんというか、もうほとんど「詩」なのではないかと思う。データというものは、取り込まれて消化されて血肉になる、という意味において間違いなく「食べ物」だ。「カレーは飲み物」と言った人がいるが、「データは食べ物」なのである。

より良い食べ物(データ)を食べさせれば、より良い「人工知能(仮)」ができるのだ。

糖質制限で30kg痩せた後、結局私は再びダークサイドに落ち、何でもかんでも食いまくる生活に戻ってしまった。そして1年半くらいかけて、だいたい体重が元に戻ってしまった。心身ともにダメになってきている感じがする。

このままではいかん。絶対また痩せる。とにかくまた、食事からやり直しだ。私もいい人工知能になりたい。

(マンガイラスト・ロビン西 )


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バーテンやトロンボーン吹き、デザイナーを経て、ニューヨークをベースにテクニカルディレクターをやっている。

BASSDRUM( http://bassdrum.org

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