最近、引っ越ししたりとかいろいろあって、全然お金がない。
筆者はニューヨークに住んで、テクニカルディレクターとして活動し、会社を経営している。「ニューヨークに進出しているクリエイター・経営者」なんて言ったらどんだけ金持ってるんだろう、なんていう話だし、私も若かりし頃は、経営者なんかになったら高い車に乗ってみたり、飛行機もファーストクラスを使ったりできるに違いない、よしがんばろう、などと想像していたものだが、とんでもない話だ。
高い車どころか、自動車を持っていないし、ファーストクラスはおろか、ビジネスクラスはマイルのアップグレードで数えるほどしか乗ったことがない。日本で新幹線に乗るようなときも、よほどがっつり仕事をしなくてはならない場合でもない限りグリーン車に乗るのは躊躇してしまうのが現実だ。
人間、お金がないと精神状態が荒れる。将来への不安、瞬間的な物質的不足感。お金の不足は、いろいろとネガティブな感覚を呼び起こしてしまう。
逆に、よく聞くのが「お金は最強の精神安定剤」ということである。かなりの鬱状態にある人でも、多額のお金が入ったりするとケロッと治ったりすることも、(すべての場合ではもちろんないと思うが)結構あるらしい。
そんなわけで、2017年の年末はすっかり鬱屈モードで、給料日までの日数をまだかまだかと数えて過ごしたが、主に何をやっていたかというと、ずっと仮想通貨の価値変動チャート(株価のチャートみたいなやつ)を見ていた。あれである。ビットコインである。正確に言うと、ビットコインとその仲間たちである。仲間たちを含めて仮想通貨だ。あの与沢翼さんやイケダハヤトさんたちをして、書くことしゃべることもうそればっかりになっている仮想通貨である。
そもそも全然元手がないわけで、別にそんなに仮想通貨を持っているわけではないし関係ないのだが、なんというか、負け犬の反省会を脳内で繰り広げるのである。
2017年は仮想通貨元年であったと言われていたし、実際問題、ビットコインをはじめとした仮想通貨の価値はこの一年でめちゃくちゃ上がり、仮想通貨への投資で資産が1億を超える人たち、仮想通貨コミュニティで言う俗称「億り人」もたくさん出現した。
1ビットコインは2017年の初めの段階では日本円にして約12万円だった。それが2017年の末には約150万円。一時期は200万円以上まで上昇した。10倍以上だ。お年玉でもらった5,000円をビットコインに変えておけば、¥62,500だ。とんでもない話だ。
それどころではない。マスコミでも報道されているビットコインは氷山の一角でしかない。
ビットコインに代わる仮想通貨2.0とも言われる「イーサリアム」は2017年のお正月には日本円で1イーサリアム1,000円。そして、先ごろ迎えた2018年のお正月にはあろうことか1イーサリアム100,000円を超えた。
100倍だ。万馬券である。5,000円入れておけば500,000円だ。北海道だったらそこそこでかい土地が買える。
春先にまとまって入ったお金を魔が差して全部ビットコインに変えていたら……とか、 5月、いろいろ勉強してイーサリアムというものの仕組みと利点を理解したところで納得して大盤振る舞いして買っておけば……とか。
仮想通貨の取引所、コインチェックやコインベースの取引チャートをソファでごろごろしながらスマホで眺めては、「あのとき○○していれば今頃……」と、いろいろなシミュレーションを脳内で繰り広げる。妄想を拡げてニヤニヤしてみたり、現実に戻って銀行の口座を覗いてみたり。そうやって私の2017年は終わった。
じゃあ2018年こそは仮想通貨やればいいじゃん、と思われるだろうが、やはり元手がないし、どうあってもやはり現状の仮想通貨の価値上昇はバブルであろうとは思う。仮想通貨は維持するのに世界全体でいうと莫大な電気代がかかる。継続してコストを食っていくものなので、いつかは下がるであろう、なんていう、にわかに聞きかじった知識が邪魔をして勇気が出なかったりする。
何はともあれ、仮想通貨といえば、一般的なイメージで言うと「バブル」「うさんくさい」「不安定」ということになるだろう。自分のお金をそういうなんだかよくわからないものに変えるのは気持ち悪い、という人も多いはずである。2014年に発生したビットコイン取引所「マウントゴックス」の巨額ビットコイン消失事件の印象も、そのうさんくささに拍車をかけているかもしれない。しかし、きちんと仕組みを知ってみると、ゴックス事件はどういうことだったのかも理解できるし、ビットコインを始めとする仮想通貨は、実際はうさんくさいどころか、逆にものすごく信頼のおける仕組みの上に成り立っていることがわかる。
その仮想通貨の基盤にある技術、それを「ブロックチェーン」という。
昨今、金融やらITやらという世界ではよく登場している言葉であるこの「ブロックチェーン」。これは非常によくできた仕組みであり、天才的な発明であると言っていい。これを考えた人は本当にすごい。人類史上初めてピータンを食おうと思った人よりも偉いかもしれない。
このブロックチェーンというテクノロジーが変えるのは、「信用」とか「認証」だ。
「認証」というと難しいけれど、日本社会でいうと要するに印鑑、すなわちハンコだ。
日本社会において、ハンコを押すというのは多くの場合、「これ見ましたよ、わかりましたよ。OKですよ」ということを意味する。
結婚するときもハンコ。保証人のハンコなんかも必要だ。銀行のお金を引き出すのもハンコ。ラジオ体操の出席カードに至るまでとにかくハンコ。
日本で生きているととにかくハンコが登場する。ハンコ社会だ。
固めの企業の広告の仕事なんかをやっていると、担当者の上司のハンコが無いと予算に決済が出ず、制作ができないなんていうこともよくある。つまりはこういうことだ。
デジタル広告の企画を企業にプレゼンする。その担当者は企画を気に入っても、その企画にゴーサインを出すためには上司である係長のハンコが必要。なので担当者が係長にプレゼン。係長が良いと思っても課長代理のハンコが必要、課長代理の上には課長、課長の上には部長、部長の上に専務やら常務やらがいて、ようやくそういった人々のハンコをゲットして最後の関門、社長に企画をプレゼンしたら社長の機嫌が悪くてハンコ押してくれなくて企画がお蔵入りする、なんていうことはまあまあよくある。しかも、そういう伝言ゲームをしていくうちに企画が全然違うものに変わってしまったりすることもあるのだが、それは別の話だ。
とにかく、こういうような場合、何個ものハンコがもらえないと物事が前に進まない。それが日本企業というもので、日本社会というものだ。
私たちは広告だけではなくものをつくって世に出すことを本懐としているので、上記のようなことが起こるとものすごくテンションが下がるし、時間以上に疲れてやる気を失ってしまう。
しかし、と同時にこういう多重の認証システムがあるからこそ「(自分たちにとって)良くない企画はやらない」という安全弁になっていて、企業のブランドを守ることができるのかもしれない。
ちょっと難しい話になってしまったが、要するに、日本社会において何かを決めるためにはたくさんの、いろんな人のハンコが必要であり、スーパー面倒くさいのだが一応、そういうことによって変なものにゴーサインが出ないような仕組みになっている、ということである。
逆に言えば、いろんな人にハンコを押してもらって、「オッケー」と言ってもらえばもらうほど安心だし、その決定の信頼性は高まるというものだ。
良い面もあれば悪い面もある。
ブロックチェーンは、乱暴な言い方をすればそんな日本のハンコ社会をシステムにしたようなものだと言える。
そういう意味では、ブロックチェーンは「デジタル超高速クラウドハンコ社会」である。
手元に日本円のお札があったらよく見てみて欲しい。表と裏に別々のハンコの印刷があるはずだ。
表側(顔がある方)は「総裁の印」、つまり日本銀行総裁のハンコ。裏側は、「発券局長」、つまり日銀の発券局長のハンコ、である。
つまり、千円札だったら、「日本銀行の総裁と財務省発券局長が、この紙っぺらに1,000円の価値があることを認めますよー」ということである。
アメリカのドル紙幣には、そのときの財務長官のサインが印刷されている。たまに、「今度の財務長官のサインはかわいい」とか言って話題になることがある。これも、「この紙っぺらに○○ドルの価値があることを認めますよー」ということである。
つまり、日本円も米ドルも、そのときの偉い役人さんがハンコなりサインを入れて価値を保証しているのだ。
じゃあ信頼できるじゃないか、というとそんなことはなくて、日本やらアメリカならまだ現時点ではマシだが、経済がもっと激しく破綻していて崩壊しそうな政府が発行した紙幣なんかも世の中にはあるわけで、そういうものを信頼できますかというと、多くの人が「うーん」となってしまうのではないかと思う。
逆に言えば、国が発行している紙幣なんていうのは「国しか」価値を保証していないお金なのだ。肝心の国が破綻してしまったら、きっともう価値は保証されなくなる。
人類というのはもうかれこれウン百年も、そういう、ある意味不安定な貨幣制度の中で生活してきた。もちろん貨幣の価値を安定させる努力とかはいろいろあったとは言いつつも、それを当たり前として生きてきた。
そのへんを完全に変えてしまうのがこの「デジタル超高速クラウドハンコ社会」システム、もといブロックチェーンである。
ブロックチェーンとは、つまるところ世界中のいろんな人たちが寄ってたかってハンコを押しまくる、つまり認証をしまくる仕組みだ。ビットコインの場合はこういうことだ。
ビットコインが始まって以来人類が行ったすべての取引データ(電子通帳みたいな感じ)が世界中のいろんなコンピュータにコピーされている。各コンピュータには、世界中で行われているビットコインの取引が次々と飛んできて、それを新しい取引データとして書き込む。
10分ごとにこの取引データの塊=ブロックがつくられ、それを世界中のコンピュータで通信しあって、他の人と同じデータになっているかを確認する。つまり、超高速で答え合わせをしまくる。
すごく大ざっぱに言えば、世界中の無数のコンピュータが同じ情報を受け取って同じ計算をして同じデータを作り出すので、ちょっと悪い人が一部を改ざんしようとしても世界の他の大部分のコンピュータが正解を導き出して答え合わせをしてしまうので、絶対に改ざんができないということになる。
そして世界中のコンピュータが答え合わせをしまくって、1つ1つの取引の塊=ブロックに対してハンコを寄ってたかって押しまくる。だから、ビットコインを持っている人は、日本円の2つのハンコどころではない、とんでもない数のハンコが捺印されたお札を持っていると想像すればそんなような感じである。
で、この答え合わせブロックが連綿とつながっているからブロックのチェーン、ブロックチェーン、「デジタル超高速クラウドハンコ社会」ということになる。
このブロックチェーンの思想はとてもかっこいい。パンクっぽく言うと「国なんて信用ならねえからもう俺らだけでお互い価値を保証して勝手にやろうぜ」ということなのであって、言ってしまえば「国とか政府なんてもういらねえよ」ということにつながっていく。アナーキーである。
国の重要な機能として、経済の管理だったり、価値の保証みたいなものはあるわけで、そこをぶっ壊しに行っているシステムであることは間違いない。
ブロックチェーンの仕組みは、仮想通貨のような金銭価値の取引以外でも利用できる。それもハンコ社会を想像すればいい。
他にも国が保証しているものはたくさんある。たとえば著作権なんかも可能性がある。著作権の保証をブロックチェーンでできるようになれば国が出す特許なんかはいらなくなる可能性がある。
ゲイ同士の結婚が認められていないしょうもない国というのはまだたくさんあるわけだが、ブロックチェーンで結婚を保証できるようになったら、別に結婚は了見の狭い国に保証してもらうようなものではなくなるかもしれない。
これは、繰り返しになるが、人類がウン百年慣れ親しんでいた通貨システムとか保証システムの革命である。とんでもない発明である。だから、恐らくこれを考えた人はピータンを最初に食った人より偉いのだ。
※ちなみに、前述のマウントゴックス事件は、いろんな人の口座番号を管理していたマウントゴックスという一企業が、「あ、なんかデータがどっか行っちゃって預かっていたみんなの口座番号がよくわかんなくなっちゃった」という事件なのであって、ブロックチェーンの仕組みそのものは何も問題とはならなかった。
とかいろいろ偉そうなことを書きつつも、今更高くなってしまったビットコインやリップルに投資する度胸もない情けない男、それが私だ。
ただ、この記事を書いている時点でやっぱりお金がない。
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(マンガイラスト・ロビン西 /協力・紫竹佑騎 Mr. Exchange )