長編映画デビューにして中島映画を撮る
岡村良憲(Ryoken Okamura):1975年、神奈川県生まれ。1999年に黒澤フィルムスタジオ入社、特殊機材部を経て、2003年よりフリー撮影部。2012年に独立し、2016年、スタージョン設立。写真は岡村さんの台本。
──元々、黒澤フィルムスタジオの特機部から映像業界に入り、フリーのムービーカメラマンとして2012年に独立された岡村さん。今回が長編映画デビューとうかがいました。本作の撮影を担当することになった経緯は?
それが、はっきりしとしたことは僕にもよくわからないんですね。中島監督の映画と言えば、「告白」(2010年)や「渇き。」(2014年)など阿藤正一さんが創られてきたイメージが強かったので驚きました。心当たりと言えば、一度、27時間テレビのCM「TELEVIMAN」(スキンヘッドのSMAPが街中を駆け巡るアクションもの、2014年)でご一緒させてもらったことくらい。
中島監督は、すごく“自分の画”を持っている方で、その実現のために厳しく現場を仕切っていくのですが、そのCM撮影の時は、中島さん的にストレスが少なかったと聞きました。僕はいつも自分から現場を進めてやっていくほうなので。それと、本作のプロデューサーであるギークピクチュアズ 兼平真樹さんからの推薦もあったのだと思います。
──現場では先陣を切って進めていくタイプなんですね。
だったはずなのですが…。監督もそれを期待してくれていたんだと思うんですけど、実際、映画に入ってみたら、まぁ、もう、大変で(笑)。
──この映画の話が来た時は、即答で引き受けられたのですか?
長編映画一本目で、中島哲也監督の映画…正直、ちょっと考えましたね。自分にできるのかと。かなり大変なことになると思いましたから。
断る理由。ビビっているだけ。
──断るのも英断、という考え方もありますね。
結局、なぜ「YES」と言ったかというと、断る理由を熟考してみたら、「ビビっているだけ」だったからなんです。それを省けば、中島哲也監督と長編映画を撮れるなんて誰もが羨むオファー。これが他人の話だったら、いいな〜って思うわけですよ。ビビっているだけなら、やるしかない、と(笑)。
──気持ちを奮い立たせるために、クランクイン前には何かされましたか?
いや~、ずっとビビってましたよ、クランクインしてからも。でも、やるしかないし、やるって決めたので、まだ見ぬ映画の撮影に向けて懸命に準備していましたね。クランクインは2018年2月で、その2カ月前から本格的なプリプロが始まる。2017年12月からコマーシャルの仕事を全部断り、映画に集中できる環境を作って、毎日打ち合わせやロケハン、機材テストを重ねながら気持ちを作っていきました。
この話をいただいた時は脚本も決定稿の前だったので、「そんなところから映画作りに参加させてもらえるなんて幸せ」という気持ちで、中島さんが何を考えているのかを探る時間でした。
──映画デビューにして中島映画というばかりではなく、「ホラー映画」ということについては?
ホラー映画と聞いた時は、「まじで?」と思いました。個人的にホラーはあまり見ません。ですが、「来る」はそもそも、ホラー映画とは少し違うと思っています。
ダイナミックが売りのカメラマンに来たお題は「スタティック」
あらすじ:オカルトライター・野崎のもとに、相談者・田原が訪れる。最近、彼の身の回りで、超常現象としか言いようのない怪異な出来事が連続し、妻・香奈と幼い一人娘・知紗に危害が及ぶことを恐れていると言う。野崎は、霊媒師の血をひくキャバ嬢・真琴とともに調査を始めるのだが、田原家に憑いている「あれ」は、想像をはるかに超えて強力なものだった。「あれ」のエスカレートする霊的攻撃に死傷者が続出。真琴の姉で日本最強の霊媒師・琴子の呼びかけで、日本中の霊媒師が集結。かつてない規模での「祓いの儀式」が始まろうとしていた。彼らは、「あれ」を止めることができるのか?!(公式サイトはこちら)
©2018「来る」製作委員会
──ホラー映画ではない、とおっしゃる理由は?
中島さんからクランクインまでに観ておけと言われたのが、「ローズマリーの赤ちゃん」(1969年、ロマン・ポランスキー監督)と「シャイニング」(1980年、スタンリー・キューブリック監督)などのホラー映画。これらの映画を見直しながら、「来る」に何を取り入れたいのかと悶々とする日々が続きました。僕なりの結論は、「ジャパニーズ・ホラーというジャンルにしてはいけない」ということ。
そして、この2本に共通しているのが“冷たいトーン”。中島さんからの「スタティックにやってくれ」というオーダーがヒントになりました。スタティックって「静的」ということですが、僕はどちらかと言えばダイナミックな撮影の多いカメラマン。それは自負しています、元特機部ですから。カメラに動きを付ける人ですからね。「なぜオレを呼んだんだ?」と、また疑問が浮かんじゃう(笑)。スタティックについて考えましたよ。クランクインした現場で、必死で撮影をしながら。そして、段々とわかってきました。
──「あれ」もそうですが、やっぱり人間が一番怖いと思ってしまう映画でした。役者の力はもちろんですが、カメラで「見えない怖さ」をどのように表現しようと思ったのでしょうか?
それが、「スタティック」だと思うんですね。要は、「あれが来そう」なシーンで「カメラがギューン」じゃなくて、マンションの部屋の中をパシッと冷たいアングルで構える。その中でいろんなことが起こっていくのを、すごーく客観視するから怖く見える。そういう雰囲気を「スタティック」という言葉に乗せたのだと思います。
──スタティックな画作りは、どのように実現したのですか?
たとえば、マンションのダイニングテーブルに向かい合って座る役者を撮るとします。Aさんを撮る時に、リビングの壁ギリギリから狙うとワイドレンズになってしまい、画に冷たさは感じられない。マンション室内は美術セットで壁が全部外せるので、壁を外してすごく遠くから狙うんです。そこまで? って思うほど、長玉で引き画を撮っています。切り返しもしかりで、壁をまたガラガラって外して撮る。コンセプトにピッタリときて、映像としても美しく見えるんです。
また、マンションの外観を幾つか撮っているんですけど、マンションを眺める柴田理恵さん扮する逢坂セツ子の後ろ姿が入りつつ、マンションを捉えているシーンはお気に入りです。余談ですが、大友克洋さんのマンガ『童夢」に出てくる団地にインスピレーションを受けていて、心の中で「大友さんリスペクト!」なんて思いながら撮影していました(笑)。狙いとしては、ピシッと冷たい感じで“マンションの線”を無機質に見せていくこと。なんですけど、映像にするとレンズの歪みが出ちゃうんです。ですから、レンズ一本一本、ディストーションチャートを作成して、編集でキレイなラインになるように歪みを矯正してもらっています。
このようにして、冷たさ、スタティックな感じを出していきました 。ワンカットごとに作り込んでいくので、全アングル簡単には撮れないんです。
──妻夫木聡さん演じる田原秀樹と青木崇高さん演じる津田大吾が居酒屋で話しているシーンでも、俯瞰のカメラアングルが気味悪い視点だなと感じました。
2人が座ったまま長い時間、会話するシーンですね。ここを、役者だけを撮って見せるのではない監督のビジョンがありました。ワイワイ騒いで楽しそうな居酒屋の人々をハイスピードですごくスタティックに冷たく、俯瞰から客観的な視点でじーっと撮っています。観客をとにかく起きている物事の中に突っ込ませないような中島さんの意図を感じましたね。すごく引いた視点で、冷たさや違和感を醸し出す。そこに乗っかってくる音楽がまた美しい。中島映画だなって思いますよね。
「なんだこのつまらないアングルは!」中島哲也監督の明確なビジョン
──中島監督の中にある明確なビジョンとの擦り合わせ作業を、具体的にはどのように行っていったのですか?
クランクインしたばかりの頃は、まったくうまくいかなかった。僕の思っていたアングルを切ると、中島さんから「違う。全然おもしろくない。なんだこのつまらないアングルは!」と返ってくる(笑)。ちなみに2カ月で6キロ痩せました(笑)。それでも、提案しつづけるしかなくて、心身ともにすり減りましたが、カメラマンって監督の右腕として技術陣のトップにいるべきなので、情けなくなってしまうと現場も崩れます。自分との戦いというか。
長丁場だし、規模も大きいし、スタッフもとても多い。その現場を動かしていく自分に、ふと恐怖を覚えることもありました。絶対に失敗は許されないし、初めは変なプレッシャーに潰されそうにもなりました。映画をご覧になった方はご存じだと思いますが、けっこう大がかりなシーンもあって、内容的にも大変で、中島さんも「これを岡村くんは最後までやりきれるのか」と不安だったと思います。そう思わせないためにも、気合いでがんばる毎日でした。
明確なビジョンと言えば、中島さんのコンテにも驚きました。中島さんはト書きとは別に、コンテも描かれます。中島さんの台本を見ると、ロケ地を見に行く前に、各シーンのコンテが描かれていて、「ここは3カット」と、すでに編集イメージができている。ロケ地を見る前に、ですよ! 驚きますよね。台本にはそういったコンテがびっしりと描かれていました。ただ、そのコンテが共有されるのは撮影日の朝なんです。なので、その日どんな画を撮るのか、中島さんがどんな画を欲しているのか、なんでも対応できるように準備しておく必要があるんです。
岡村さんのお気に入りの、黒木華さん扮する田原香奈の絶命シーン。舞台は公衆トイレ。俯瞰の画で、便器に座っている香奈が絶命とともに、前にベチャッと倒れる。「台本を読んでイメージしていた通りの画で、中島さんのコンテともシンクロしていた箇所でした。パースペクティブな白い壁に赤い血が跳ねている画を想像し、このシーンは美しくなるぞとゾクゾクしました。黒木さんが最高の演技で魅せてくれて『いいのが撮れた!』ってゾワっとしました」©2018「来る」製作委員会
──撮影中、助けになった出来事はありますか?
やっぱり、過去に中島組を経験しているスタッフには助けられました。中島さんのビジョンをわかっているから、相談すると適切なアドバイスをくれる。そして、一致団結して中島さんの描いている世界を作り上げようとしている。撮影期間の後半戦は、とても美しい現場だと思って撮っていました。そんな風に、段々と中島さんの求めているものがわかってきて、そこに対して自分が何をするべきなのかが見えてきました。
──スタイリッシュな画というのも、中島映画の特徴としてよく言われていますね。
妥協なしのこだわりの上に創られているから、そう言われるんでしょうかね。カットのつなぎ方や、音楽のセレクションもあると思いますが。
映画って、監督によって本当に作り方が違うと思うのですが、通常だと、2〜3カメで抑えていきそうなところでも、中島さんに限っては絶対にないんです。1カメで、そのカメラのアングルに対して一番良いライティングをする。それの寄りでは、寄りのライティングをする。そのためにはセットを変えてもいいから、一番良い構図を美術でも作る。切り返しになると、切り返しに一番良い光、美術を作っていくんです。簡単なカットなんて、ワンカットもないんです、この映画では。中島さんの映画って、どこで止めても画になるんですよね。そういうカットの羅列ですから。
ダイナミックカメラマンだからこそできたこと
「祓いの儀式」では本物の神職らも登場し、リアリティを追求している。なんと、宗教専門助監督もいて、衣装はもちろん、お経や所作まで徹底したそうだ。「来る」でメインカメラとして使用したのは、REDの「WEAPON DRAGON」。©2018「来る」製作委員会
──スタティックというお題を、ダイナミックが売りのカメラマンにぶつけてきた理由は何だったと思いますか?
最初はとにかくスタティック、そして最後の「祓いの儀式」は完全なるエンターテインメント。あそこに僕のダイナミック要素がすごく入っていると思うんですね。僕の好きなガリガリとした画を存分にやらせてもらった。もちろんワンカットごとに「どうですか?」って確認しながらですけれど。
「祓いの儀式」の狙いは、「フェスティバル」。もう音楽フェスのような感じ。いろいろなお経や太鼓の音が入り混じり、音楽のうねりとなってどんどん世界がおかしくなっていく。それまで単色で描いてきた、秀樹の夜のブルー、香菜のベッドシーンのマゼンタなどがここに集結して、カラフルな不思議な色の世界を成す。見ている方は「なんだこれ??」となる。トリップ映像ですね。
──お話をうかがっていると、「大変」の裏にはたくさんの「楽しい」が見えてきます。
こんなエピソードもあります。僕は、特機部出身というのもあり、これまで作ってきた映像は移動ショットが多い。自分でもそれが得意だと思っているから、この映画も全部動いてやろうと思って臨んだのですが、「スタティック」というで得意技を封じられた…かに思えるのですが、その中でも戦いをしているんです(笑)。フィックス(固定撮影)に見える画で、実は全部動いているんです。ピシッと撮っているように見えて、じわ~っと上下や左右に動かしています。それは中島さんも面白がってくれたんじゃないかと思います。「岡村くんどうせ動くんだろう。別にうまいわけじゃないのに動かすからな」なんて言われるんですけど(笑)。
ある時、このシーンはフィックスだなと固定で構えていたら、モニタを見ていた中島さんから「なんで動かないんだ!」って、やっぱり動かすわけです(笑)。これは、この映画に僕なりの味付けができたなと感じているところではあります。動かすことによって編集しづらくなることもあるので、自分の中で編集点を考えながら撮るんです。
絵を描くことの延長線
子どもの頃、いつも絵を描いていた岡村さん。絵に関しては独学で、自由に描くのが好きだったそう。この絵は、岡村さんが19歳の時に描いたもの。カート・コバーンの子ども時代のカラー写真をモノクロに置き換えて模写。「頭の中でカラーをモノクロに変えてみようと、ふと思いついて描いたものです」
──子どもの頃は絵描きになろうと思っていたそうですね。
小さい時から、将来は何らかの絵の仕事をしたいなと思っていました。高校を卒業したら美大とかに行きたいな、なんてぼんやりと考えていて。実際は、高校で始めたバンドがうまくいって、そっちで飯を食おうとしたけど全然ダメで。22歳の時にアジアをバックパッカー中、インドのゴアでフォトグラファーに出会ってカメラを知る。絵を描くのに僕は何日もかけていたのに、「パシャって一瞬で絵を描いてる、ずるい!」と。でも、こういう仕事をしてみたいって、彼と旅をしている間に思うようになったのが始まりだったのかもしれません。
──それで黒澤フィルムスタジオに?
それが、黒澤フィルムスタジオの求人を見つけたのは、肉体労働系のバイト情報誌でした。すっかりその街の黒澤さんがやっている小さい写真屋だと思ったんです。フィルムを現像に出しに、写真屋さんに行く時代でしたから。そして面接に行ったら、何だかバカでかい建物で、自動ドアを入ったら、「七人の侍」とかのポスターが貼ってある。「黒澤って明?! 映画じゃん」とようやく間違いに気が付くんですが、それが逆に面接では気に入られたようで採用に。
黒澤フィルムスタジオは、撮影のスタジオや照明、機材レンタルの会社なので、撮影現場の最前線でカメラマンといることができる特機部を希望しました。そこから僕のムービー人生が始まるんです。当時24歳で、ムービーカメラマンとして独立したのが36歳。僕は今年で44歳なんで、スロースターターですよね。
──20周年ですね。おめでとうございます!
ホントですね。20年もやっていれば、映画もやるようになるんですね(笑)。
──絵を描くこと、カメラで撮ることの関係についてどう感じていますか?
僕は今も絵を描いている感覚なんです。ずっと同じことをしているなと思っています。結局、絵画で描いているものは光と影で、カメラでも同じことをしている。映像には今までやってきたことが全部出るんですよね。MVを撮るにしてもバンド経験がすごく役に立っているし、旅の経験は言うまでもなく大きいし、バーテンダーとかいろいろなバイトをして、いろいろ見てきた経験がこの仕事に活きていると感じます。なんか今はもう、カメラマンしかできないなって。天職ですね、きっと。
つまりは、愛
メイキングシーン ©2018「来る」製作委員会
──初映画で中島映画に挑戦した感想をお願いします。
中島さんにも言われましたが、「岡村くん、体力あるね」と。だから、最後まで中島組でカメラを回していられたのかもしれませんね(笑)。初めは断ろうかなって気持ちもありましたが、やってみたら思っていたよりも、もっと大変でした(笑)。「つまらないアングル!」って怒られますからね(笑)。それで中島さんに「もうちょっとここから、こう切ってみてくれ」と言われて、「まじかよ。ここ?」って思いながら切ると、すごく良い。僕が今まで切れなかったアングルで画を撮れるようになったと思います。怒られるのってすごく愛があるし、映像のために全力なんだって理解できる。撮影中、中島さんとよく飲んだりもしたし、いろいろ話しました。何だか最後は「中島さん大好き」で終わっちゃいましたね。みんな、スタッフも俳優陣も、中島さんが好きなんですよね。
でも現場で、映画畑のスタッフさんからは「岡村さんよく(この話)受けましたね~。でも勘違いしないでね、中島組は特別だから」って言われました。「中島組」っていうまた一つのジャンルだって。それだけ、映画をずっとやっているスタッフさんにとっても特殊だということなんですかね。結局、その言葉にも“中島映画愛”が伝わってきます。そういうスタッフの方々がいなければ、僕も最後まで走れなかったと思います。一緒にものづくりをする仲間って、本当に大事だと改めて思いました。
何よりも、映画ってめちゃくちゃ面白い。演技を撮るのも楽しいですし、規模感のある作品をみんなで作っているあの感覚って、病みつきになる。完成して劇場で公開されるというのも映画の醍醐味ですよね。
──映画が病みつきになりそうとのことでしたが、次はどんなものに挑戦したいですか?
青春恋愛映画とか?(笑)。